【翻訳】あなたらしいリズムの見つけ方

2017年12月1日金曜日

「奉仕」の問題 教会の「健康」

t f B! P L
・クリスチャンは忙しくあるべき?

 教会での奉仕に限らず、仕事や学業や家事や育児などの日々の活動で、皆さん「忙しい毎日」を送っておられるでしょうか。あるいはそこまで忙しくない、「余裕のある生活」でしょうか。

 私は今でこそ(ある程度)余裕のある生活を送っていますが、かつては教会で、ものすごく忙しい日々を過ごしていました。朝早くから夜遅くまで、時には徹夜して、働き続けていました。もちろん睡眠時間もありましたが、慢性的に寝不足だったと思います(空き時間が少しでもあると、すぐ眠りこんでしまうという状態でした)。食事も睡眠も不規則で、運動習慣もありませんでしたので、(今思うと)いつも体調がイマイチでした。

 なぜそこまでするかと言うと、牧師からそう求められるからです。
「神の民はハードワーカーでなければならない」
 そして聖書から、たとえばキリストと弟子たちが「休む間もなく」人々を迎えていた様子や、あるいは「霊に燃え主に仕えよ」とか「勤勉であれ」とかいう言葉が引用されるのでした。
 牧師自身、忙しくしていたようです。「自分は秒単位で働いている」と口癖のように言っていましたから。で、その牧師からポンポン仕事を投げられるので、信徒は上記のような状態になるわけでした。

 以前、体験談で「何でもかんでも奉仕を増やしたがる信徒」がいるというお話がありました。確かにそういう人もいると思います。ただうちの場合、それが牧師自身なのでした。奉仕を増やすというより、新しい活動をどんどん増やしていく、という感じでしたが。
 だから信徒がみんな大変になるのでした。

 さて問題は、それが聖書に照らして正しいのかどうか、信仰者は本来そうあるべきなのかどうか、という点だと思います。
 果たしてクリスチャンは、体調を崩してまで(あるいは崩さなくても)忙しく毎日働き続けるべきなのでしょうか。そこまでしないと「神の御業」は達成されないのでしょうか。私たちがガツガツ働かなければ「神の御業」は滞ってしまうのでしょうか。私たちが疲弊して、それでも頑張って仕えることが、神の願いなのでしょうか。

 皆さんはどう思われますか。

・衝撃的だった光景

 1つ、私にとって衝撃だった出来事を紹介します。
 あるとき、シンガポールの教会から、何人かの若者が来日しました。そして私の教会で一緒に活動しました。皆勤勉で良い人たちでした。一生懸命働いてくれます。
 しかし1週間くらい忙しく過ごした後、彼らが「2、3日休みます」と言い出したのです。今思えば当たり前な話ですが、当時の私には衝撃的でした。「え、休むんだ?」という感じです。面と向かって言いはしませんでしたが。
 それだけ、私たちに「休む」という感覚がなかったのです。

 彼らはそれから数日間、ゴロゴロしたり、談笑したり、ゆっくり聖書を読んだり、遊びに行ったりしていました。牧師も相手が「お客さん」だから厳しいことは言いません。彼らは時間をかけてリフレッシュしているようでした。それを傍目に、私たちは変わらず忙しくしていたのですが。
 でも「忙しくあるべきだ」という価値観の中にいながら、何となく彼らのことが羨ましく見えたのを、今でもよく覚えています。

 さてそれからイロイロあって、やはりいつも忙し過ぎるのはおかしい、と気づきました。「勤勉」と「忙しい」は違うわけです。キリストご自身、いつも忙しかったわけではありません。よく山に引き篭もっていたではありませんか。
 結局、病的とも言える牧師の活動過多に、付き合わされていただけだったのです。「ハードワーカーであれ」というのは聖書の言葉ではなかったのです。当たり前ですが。

・自分らしいリズムで生きること

 今回紹介したいのはナターシャ・S・ロビンソンさんの記事「あなたらしいリズムの見つけ方」です。活動と休息のバランスについてです。彼女は「忙しく働く」ことより、適度な休息を取りながら、「自分に合ったペースで働く」方が大切だと書いています。
 少し長いですが、以下に翻訳して紹介します。

(以下翻訳)

あなたらしいリズムの見つけ方(Find Your Natural Rhythm)



いつもフルスピードでは走れないから

 力強い歌を聞くと、手拍子を打ったり声をあげたり、足でリズムをとったり、腕を振ったりしたくなりますよね。エモーショナルな歌を聞くと、涙が流れたり、古い記憶がよみがえったりしませんか。跳んだり踊ったりしたくなるメロディもありますね。
 私たちの「魂」は、リズムとブルースにどこかで繋がっているのだと思います。意味深な歌詞は、人生のどこかで経験したことを思い出させ、とにもかくにも私たちが人間であることを再確認させてくれます。

 でも、生きていれば仕方ないことですが、お気に入りの歌が子供の悲鳴や、ギチギチのスケジュールや、わずらわしい雑務でかき消されることがあります。いろいろな必要に迫られて、何とかしようとして、ひどく混乱し、自分自身を見失ってしまうことがあります。自分が誰で、何を求め、どこへ行こうとしているのかを。
 その迷走感は、時に危険です。そういう時は意図的に誰かに相談してみたり、セルフケア、セルフリーダーシップを実践してみたりすると良いかもしれません。

セルフケア術

 健全な状態を維持するには、それを継続する意思と、ちゃんとした自己認識が欠かせません。あなたのニーズや強み、弱点などを見極める性格診断テストで「己を知る」のも良いでしょう。楽しい人間関係やコミュニティの中にいるのも、ストレス解消に効果的です。
 でもそういう自己認識やコミュニティより、「あなたらしいリズム」を見つける方がさらに重要です。

 私が海軍にいた頃、毎日の(身体的な)トレーニングが必須でした。そういう訓練はあまり好きではありませんでした。でもその結果には満足でした。毎日エネルギーに満ち、目覚めが良く、食べるのが楽しかったですから。
 でもそういうハードなトレーニングを始めて数年後、いろいろ状況が変わって、毎日はできなくなりました。週5日だった訓練を週3日にし、週2日にし、と徐々に減らしていきました。そしてついに、完全に止めてしまいました。日々の責任が増え、デスクワークが多くなったからです。つまり仕事とトレーニングの両立ができなかったわけです。すると数ヶ月で体重が戻りました。活力に欠け、睡眠は不規則になり、あちこち痛むようになりました。リズムが崩れてしまったのです。結局、私は生活全般を見直す羽目になりました。

ニーズを知る

 とは言え、トレーニングに戻るのは簡単ではありませんでした。自分でやるにしろ、友達と一緒にやるにしろ、なかなかうまく行きません。ジムの会員になっても長続きしなかったです。いろいろ努力しましたがダメでした。これは真剣に対策を考えなきゃまずいなと、私は焦りました。
 それで日常業務を調整して、確実に入れそうスケジュールを確保し、その時間にのみジムに行くことにしました。結局それがトレーニングを続ける唯一の方法でした。そこには、私が反復訓練にウンザリして辞めたくなっても、ちゃんと叱咤してくれるインストラクターがいたのです(翻訳者注:完全予約制のジムを利用したのだと思われます)。

 たぶんあなたの葛藤は、身体的なトレーニングのことではないでしょう。もっと別の話を聞きたいのだと思います。たとえばカフェインの摂りすぎを抑える方法とか、学校に戻る方法とか、人間関係を改善していく方法とか。
 しかしながら、「あなたらしいリズム」を見つける最初の一歩は、それを妨げている何かを特定することです。目標が何で、障害物が何で、どういうフラストレーションが生じているのか、はっきりさせることです(翻訳者注:この場合、筆者は週5日のトレーニングに戻らなければリズムを取り戻せないと思っていたけれど、それがそもそもの間違いで、現状に合った、もっと緩いペースでトレーニングをしたっていいんだと気付いた、というような意味です)。

友達と共に

 良い友達はその手助けをしてくれます。あなたがこうでありたいと願う姿と今の姿とのギャップを素直に話してみて、快く助けてくれそうな友達はいますか。いるなら彼らとの関係を大切にしましょう。

 あなたをストレスから解放させない一番の敵は、実はあなた自身なのです。私も神学生とフリーライターとミニスターという三足のワラジを履いて頑張っていた時は、ストレスがひどく、いつも疲れていました。フクロウみたいに夜遅くまで働いて、翌朝いつも通り早く起きる、という毎日を自分に課していたのです。でも友人(私の場合は夫でしたが)の知恵を借りて、日々の仕事を全部やりきろうとするのでなく、1日1日、無理なくできる範囲に留めることにしました。

 仕事(あるいは教会奉仕)を柔軟に、余裕を持って進められるとしたら、素晴らしいことですね。それはあなたにとって、静かな週末を過ごすために平日ちょっと長めに働くことかもしれません。あるいは教会にお願いして、まとまった時間をもらい、勉強したり内省したりすることかもしれません。いずれにせよ、予定を一旦止めてみることも必要です。あれをしなきゃ、これをしなきゃ、といろいろ考えるのでなく、思い切って、あなたにとって大切な何かを優先してみて下さい。そういうことができるコミュニティを選ぶのも大切です。

楽しく自由にやりましょう

 安息日に休むという(週1回の)リズムは、教会にとって神聖なものです。そしてそれは健康おいても良いものです。
 忙しく働いた後は、よく休むようにしましょう。それは自分勝手なことではありません。むしろあなたの魂を健全に整える、ごく自然なリズムです。
 また休息中は、「楽しむ」ことを意識してみて下さい。

「楽しむ」というのは、教会内ではあまり推奨されないことかもしれません。でも聖書は歌うことや叫ぶこと、踊ること、喜ぶことにたくさん言及しています。なぜか「楽しむ」という形ではあまり引用されないのですが。

 私がよく思い起こす聖句は、ガラテヤ6章9節の「良い行いに疲れないように」です。私は自分自身に問います。この人生において、私が疲れないように支えてくれるものは何か、と。もちろんイエス様がそうですね。でも時々、少なとも私自身は、踊ることでリフレッシュされます。

 楽しむことで、私たちのリズムはリセットされます。(意図的に)楽しむことで、重たい問題が少し軽くなり、違った見方ができるようになります。

 今までの(ストレスフルな)リズムに固執していませんか。
 あなたらしいリズムをちゃんと教えてくれる人はいますか。
 疲れすぎないように自分自身を保つ方法はありますか。
 あなたの日々の選択が、あなたの生活にそのまま反映されます。
 あなたらしいリズムを見つけましょう。その中であなた自身の課題が見つかり、また目標が決まっていくと思いますから。そしてキリストを模範とし、セルフケアを怠らず、他者と深く繋がった生活を送ってほしいと思います。
(ナターシャ・S・ロビンソン)

(翻訳終わり)

・ペースはみんな違う

 この記事に、私は大いに同意します。
 もちろん生きていれば、忙しくあれこれ動かなければならない時もあります。避けられないこともあります。頑張らなければならない時もあるでしょう。でもそういうのが何週間も何ヶ月も続くようだと、ちょっと困ってしまいます。
 私たちは自分にできるペース、ちょうどいいペースを見つけて、適度に活動するのが一番良いようです。そして十分に休み、楽しむことも大切なようです。

 みんなペースが違います。割とハードに働く方が好きだと言う人もいるでしょう。あるいは余裕がなければダメだと言う人もいるでしょう。短時間で回復する人もいれば、時間をかけて回復する人もいます。みんな違うのです。大切なのは、自分にふさわしいペースを知ることではないでしょうか。

 もちろん、仕事を選ぶのはなかなか難しいことです。学業や家事や育児、介護など、自分のペースでできないことも多いです。どうにもならないこともあるでしょう。
 でも忙し過ぎる状態が長く続くのは、良いことではありません。ストレスが溜まったり、体調を崩したり、精神状態が悪くなったりします。人間関係にも影響してくるでしょう。

 だから紹介記事にもある通り(状況をすぐには変えられないとしても)、自分自身の状態を客観的に見ること、他人に相談すること、高すぎる理想や先入観に気づくこと、自分に無理なくできる範囲や方法を見つけること、などが大切なのだと思います。

「やること」に振り回されるのでなく、自分のペースに「やること」を当てはめていく、と言ったらいいかもしれませんね。

・クリスチャンの本当の責任とは

 単純に考えてみて、もし教会でクリスチャンの方々がいつも忙しく働き回っていて、ストレスフルだったり疲労困憊だったりたら、未信者の方はどう思うでしょうか。羨ましがるでしょうか。クリスチャンって大変だなと思うでしょうか。
 あるいは反対に、ちゃんと働くけれど、休む時は休み、いつも余裕があって楽しそうだとしたら、どう思うでしょうか。

 教会でクリスチャンとして存在することは、少なくともそれを見る人たちにとって、「クリスチャンとはこういう存在なんだ」と示すことです。本人が何をどう考えているかに関係なく。
 だからバタバタと忙しい姿を見せるか、あるいは余裕のある姿を見せるかは、クリスチャン1人1人の責任だと言えます。そしてその結果も、それぞれが負うことになります。

 さて、今現在教会で頑張ってらっしゃる皆さんは、どう考えるでしょうか。

 最後に、私なりの健康維持のポイントを書きましょう。
 食べ過ぎず、よく休み、よく寝て、適度な運動習慣を持ち、自分が楽しいと思えることを定期的にすることです。友達と食事したり、遊びに行ったりするのも良いでしょう。個人的にはスパや岩盤浴で身体をリラックスさせるのがお勧めです。特に忙しかった後は、たっぷり休むと良いです。

 というわけで、休息は大切ですよ、というお話でした。

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