キリスト教は「宗教(Religion)」でなく、「神との関係(Relationship)」なんで すか?

2017年11月25日土曜日

雑記

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・キリスト教って宗教じゃないの?

 今回は次のセリフについて、私見を述べたいと思います。

「キリスト教は『宗教(religion)』でなく、『神との関係(relationship)』です」

 これは聖霊派や福音派の教会でよく聞くセリフです。名言や格言みたいに扱われていますから、聞いたことがある人も多いでしょう。SNSなんかでも時々見かけます。昔、私の教会でも何度か聞いたことがあります。当時は単純にそうだよなあと感心していましたが。

 これは、「キリスト教は他の宗教とは違うんだ、本物の神との生きたコミュニケーションなんだ、リアルな関係性なんだ」という主張でしょう。我らがキリスト教を、宗教なんかで括ってくれるな、ということですね。そう言いたい気持ちはわかります。

 でもですね、「神との関係なんだ」と言うのはいいとして、「宗教ではない」と言うのはいささか語弊があると思います。だって宗教ですから。それを違うと言うのは自由ですが、一般の認識はそうではありません。

 たとえば図書館や書店で「宗教」のコーナーに入ると、だいたいキリスト教とイスラム教と仏教の本が同じ棚に並んでいます。社会系の教科書を開くと、その3つが「世界の三大宗教」と呼ばれています。トロント(カナダ)の大きめな書店に入った時は、キリスト教の本だけで何列もありましたが、それでも「宗教」のコーナーでした。
 つまり一般社会では、キリスト教は間違いなく「宗教」なのです。当たり前ですが。

 それに、「キリスト教は宗教じゃない、神との生きた関係だ」と言ったところで、未信者の人からしたら宗教でしかないです。「宗教じゃない」というのは「中の人」の言い分です。「中の人」がいくら何を主張したところで、外から見たら「いえ、だから宗教ですよね?」「それは宗教をやっている人の言い分ですよね?」という話になります。そうではありませんか。

 ところで、そもそもの話ですが、なぜ「キリスト教は宗教ではない」とわざわざ宣言しなければならないのでしょう。キリスト教が宗教だったら、何か不都合でもあるのでしょうか。

「宗教」とは何でしょう。その定義とは何でしょう。ちょっと調べてみましたが、「百科事典マイペディア」のものがわかりやすかったので紹介します。
「一般に宗教とは、超自然的な力や存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度をいう」

 えーっと・・・、やっぱりキリスト教って宗教ですよね?(笑

・キリスト教があれば、他の宗教はいらないの?

 という宗教の定義がどうであれ、このセリフの問題の根幹は、「キリスト教は宗教か否か」という点ではありません。ぶっちゃけた話、それはどちらでもいいです。前述の通りキリスト教は一般的に宗教として括られていますし、その方がわかりやすいですけれど、べつにそうじゃなかったとしても構いません。

 本当の問題は、「宗教でなく神との関係だ」みたいな、「自分たちにしかわからない言語」を使ってしまう点だと私は思います。
「キリスト教は宗教でなく神との関係だ」なんて外部の人が聞いたって、意味がわからないじゃないですか。そういう言語をわざわざ使うのは排他的と言わざるを得ません。そうではありませんか。
 誰かと話をしたいと思ったら、相手がわかる言語で話さなければなりません。お互いに理解できる言葉で話すのが、コミュニケーションの基本だからです。これまた当たり前なことなのですが。

 また、このセリフの背後には、「キリスト教は特別で、本物だ。でも他の宗教はどれも紛い物だ」という考え方が隠れていると思います。繰り返しますが、そう言いたい気持ちはわかります。しかし、これは恐ろしい考え方でもあります。何故なら他の宗教を全て排除しようとしているからです。

 日本には幸い「信教の自由」という権利がありますが、その意味がわかるでしょうか。伝統的なものから怪しいものまでいろいろありますが、どの宗教を信じても良い、信じなくても良い、という意味です。そこにはキリスト教も含まれています。なのに何故クリスチャンだけが、他の宗教はダメだと言い、信じる自由を奪うのでしょうか。

 私が常々感じるのは、キリストの教えは愛と寛容であるはずなのに、当のクリスチャンと言われる人々からそれが感じられない、ということです。もちろん皆が皆ではありません。素晴らしい方々もいます。でも中には、聖書を振りかざして他者を押しのける、実に不寛容な人たちがいます。
 そういう人がよく、この「キリスト教は宗教じゃない、神との関係だ」みたいなことを、したり顔で言うのですが。

・キリスト教ってそんなに特別なの?

 自分の信じる宗教は他の宗教とは違うんだ、自分の宗教こそ本物なんだ、と思いたいのは皆同じです。どの宗教の人もそう思っています。たとえばイスラム教の皆さんは、アッラーと自分との関係こそ本物だと信じています。仏教の皆さんは、悟りを得て解脱することこそ最高の目標だと信じています。他の宗教も、それぞれの教理に沿ったゴールなり目標なりを設定していて、それぞれ本物だと信じています。
 だから「キリスト教だけは『宗教』という枠組みから外れた、特別なところにある」と主張するのは、クリスチャンがそう言いたくなるのは当然ですが、いささか手前勝手と言わざるを得ません。

 また多神教ならともかく、一神教である限り、どうしても「神と自分との関係」が重要になってきます。その一対一の関係がリアルでなければ、信じる意味がないからです。そしてそれはキリスト教に限ったことではありません。一神教なら(たぶん)どこでもそうです。

 たとえば、前述のイスラム教がそうですね。イスラム教徒の皆さんはアッラーを信仰し、その教えを守って生きています(熱心な人ならば、でしょうが)。それはもちろん「良い裁きを受けたいから」というご利益主義的動機もあるでしょうが、基本的にはアッラーとの「個人的関係」を重視しているからです。だから彼らにとって、それは「宗教」でなく日常生活の一部なのかもしれません。
 であるなら、「宗教でなく神との関係だ」というのはイスラム教も同じだということになります。なぜキリスト教だけが、他の宗教を押しのけて「宗教でなく神との関係だ」と主張できるのでしょう。

 あるいは、スピリチュアル系の話になりますが、「守護霊様」を信じている人々もいます。彼らは組織に属するのでなく、個人個人で、それぞれ「高次の存在」との繋がりを信じています。たぶん彼らにとってそれは宗教でなく、より個人的な何かでしょう。
 ということは「宗教でなく神との関係だ」と言えるのは、むしろ彼らの方になります。

 あるいは実際の治療の現場では、アルコール依存症の方々が社会復帰するための、「12のステップ」というのがあります。その中に「自分なりに理解した神(Higher Power)に自分自身を委ねる」というステップがありますが、これは考え方としては、上記の「高次の存在」に近いと思います。つまりここにも、「宗教でない神との関係」があるわけです。

 何が言いたいかというと、キリスト教を「特別」だと思っているのは、クリスチャンだけだ、ということです。

 これは最終的に、他の宗教に対してどういう態度を取るべきか、という話になるでしょう。すなわち他の宗教を全て排除しようとするのか、あるいはどの宗教も尊重し認めていくのか、という個人個人の選択になります。わたしはそこにクリスチャンとしての、というよりむしろ人間としての品格が出ると思うのですが、さて皆さんはどう考えるでしょうか。

・英語の掛け合わせはありがたいの?

「宗教」(religion)」でなく「神との関係(relationship)」である、というのは見てわかる通り、religionrelationshipを掛けたものです。英語圏的な発想ですね。誰が最初に言ったのか知りませんが、英語を使ってうまく掛け合わせたからといって、それが聖書の真理というわけではありません。

 このセリフを初めて聞いた頃は、私も単純にそうだよなと思って感動しました。だから偉そうなことは言えないのですが、教会で講壇から語られることを、何でもかんでも鵜呑みにしてはいけないと思います。よくよく考えてみて、本当なのかな? とか、これの背後にはどんな考え方が潜んでいるのだろう? とか、じっくり吟味することをお勧めします。そうすることで、最初は見えなかったものが、徐々に姿を現してくるかもしれませんから。

 最後にオマケですが、英語の掛け合わせなら私にも作れます。今パッと考えたのですが、こんなのはどうでしょう。

「私たちは主にあって拒絶(rejection)を乗り越え、喜び(rejoyce)を得ることができます!」(眉唾)

 なんかそれらしくないですか。使いたい人がいたらどうぞ自由に使って下さい(笑

QooQ