【体験談】薄っぺらい教会(HN:ニャンタマさんの体験談)

2017年11月23日木曜日

体験談

t f B! P L
 今回は読者の方からいただいた体験談を紹介します。
 ニャンタマさんはある教会に7年ほど属しておられましたが、その間「教会の闇」を沢山見てこられたそうです。そして最終的にその教会を「薄っぺらい」と結論づけるに至りました。さて、ニャンタマさんは何を見たのでしょうか。
 今回もニャンタマさんからいただいた原文を私フミナルが編集し、ご本人の了承を得て掲載しています。

――――――――――

薄っぺらい教会(HN:ニャンタマさんの体験談)

 ニャンタマと申します。
 以前通っていた教会の話をします。
 私はそこに入信して1年経たないうちに役員を押しつけられ、引っ越すまで逃げられない状態になっていました。教会を良いものだと感じたのは、最初の半年位です。それ以降は、教会の闇を散々見せられてきました。

牧師の私物と化す献金

 そこの牧師は、とにかく献金を集めたがっていました。
福音宣教のため、伝道のため、という理由で土地を買ったり、会堂を建てたりを繰り返していました。億単位のお金が動いていたと思います。
 牧師が使う車も、献金で賄われていました。それも高級車です。牧師の言い分は「人を送迎するのに使うので、安い車では面子が立たない」というものでした。と言っても私用で使うのがほとんどなのですが。それに牧師の面子とは、いったい何なのでしょう。
 でも結局、牧師の要求はいつも役員会で承認されるのでした。役員と言っても形だけなので当然ですが。私が所属していた7年間に、少なくとも会堂を2回建て、高級車を3回買い替えています。車をそんなに頻繁に替えなければならない理由がわかりません。ちなみに牧師の個人宅まで、献金で建てられたのでした。

 献金の収支報告は一応ありましたが、あってないようなものでした。項目が大雑把なうえ、どんな操作がされているかわかりませんから。対外宣教費とか、接待費とか、雑経費とか、中身はまさにブラックボックスです。牧師の一存でどうにでもなってしまいます。

 献金は「個人の自由だ」と言いながら、決して自由ではありませんでした。
 なぜなら誰が幾ら払ったか、あるいは払っていないか、把握しているのです。そして払っていない人を呼び出して、催促するのです。
 私も払って下さいと直接言われたことがあります。結局牧師の私用に使われるのかと思うとバカらしくて、払いませんでしたが。
 とにかく払わないことが自衛になると、私は考えていました。

牧師の不倫

 年輩の牧師でしたが、信徒の婦人と不倫関係にありました。礼拝の後に密会しているという噂が前々からあったのですが、あるとき発覚しました。けれど、なぜか辞任させようという動きになりませんでした。擁護する声が大きかったのです。発言力のある役員たちは「個人の恋愛のことだから」と黙認する構えでした。もちろん反対する人たちもいました。教会は分裂騒動に発展しました。
 牧師本人からは、何の説明も謝罪もありません。そういう話になっても「個人的なことだから」とかわすばかりです。
 彼は最終的に教会を出て行きましたが、結局献金で建てた私邸で、不倫相手と暮らしているようです。

信仰深さ(?)のアピール合戦

 当時私は青年会に所属していました。
 メンバーどうしでどれだけ信仰深いかのマウンティング合戦が繰り広げられていましたので、正直キツかったです。嫌々参加していましたので、今は当時の人たちと一切関わっていません。

 Aさんはとにかくいつでもどこでも伝道する人でした。
 あるとき、ショッピングモールで買い物中、Aさんがそこの店員さんにいきなり伝道しはじめたことがあります。店員さんは相手が一応客ですから、無下にできません。Aさんはそれを知ってか知らずか、平気で話し続けます。私は唖然としてしまい、何も出来ませんでした。悔しかったです。
 でもAさんはあとで「神の福音を伝えることが出来た」と嬉しそうでした。どこでも伝道できる私ってすごい、というアピールだったのです。

 他にもあります。青年会で公園でランチをとった時です。Aさんは子連れの若いお母さんを見つけて、さっそく伝道していました。
 お母さんは迷惑そうでしたが、3歳位の男の子がメンバーと遊びはじめてしまったので、離れるに離れられません。
 Aさんは最後に「今度ぜひ私たちの教会に来て下さい! 住所は~~です」と場所を詳しく教えました。
 あとから「今日は素晴らしかった、イエス様の福音を伝えることが出来た。あのお母さんたち、教会に来てくれないかなぁ」と喜んでいました。もちろん来ませんでしたが。
 Aさんは伝道をすればするほど、教会に人を連れてくればくるほど、信仰が深くなると考えていたようでした。

 同様に、Bさんは奉仕をやればやるほど信仰が深くなると思っていたようです。
 Bさんは奉仕をどんどん増やしたがる人でした。私は役員をやらされていましたので、これ以上増やしたくなかったです。しかしBさんはあれもこれもと手を広げていきます。朝から晩まで教会にいて、どんなミーティングにも顔を出します。次第にいろいろ仕切りたがるようになりました。
挙句の果てに、私の個人的なことにまで口を出すようになりました。
「この日は空いてるから、奉仕出来るんでしょう?」
「もっと職場の人にも伝道した方が良いよ」
「どこで洋服買ってるの?」
「これは高いんでしょう?」
「結婚するなら絶対クリスチャンでないと。あと結婚式は教会でね」
「結婚式はどうするの? 招待客はどこまで呼ぶの?」
 という感じで、持ち物から恋愛結婚まで、あらゆる場面で口出ししてきました。私の主人との恋愛や結婚にもです。

 Cさんはいつもヘラヘラしていました。
 本人は「いつも喜んでいなさい」を実践していると思い込んでいたのかもしれません。でも言うことがいつも大袈裟で、そんなこと思っていないだろうということを平気で言います。目上の人間に対して大袈裟に媚びて、気に入った役員がいれば付いて回ります。教会の不正会計、牧師の不倫などいろいろ発覚した時もヘラヘラと楽しそうでした。正直不快でした。

 でもまともな人もいました。
 私が入信して1年くらい経った頃、少し年上の女性が入会されました。彼女とは話題が合い、短い間でしたが仲良くさせてもらいました。
 けれど彼女は、2年経たないうちに辞めました。最初の年はよく礼拝で見かけたのですが、だんだん来なくなり、次第にフェードアウトした形です。キッカケは、やはり役員による私生活への介入だったようです。交際相手のことなど突っ込んだ質問をされて嫌になったのではないでしょうか。何度電話しても出ない、と役員は言っていました。
 彼女は本当に一般常識のある方でした。でもそういう人は教会に残りません。まともな人がどんどん辞めていくので、教会には変人しか残らないのではないでしょうか。

その他もろもろ

 教会の方針もいまいちよく分からなかったです。
 あのイベントが良いと聞けばそれに飛びつき、この企画で成功したと聞けばそれに飛びつき・・・の繰り返しでした。
 バーベキュー、流しそうめん、焼き肉、アイスクリームパーティ、お菓子まき等々・・。食べ物で釣るイベントしか思いつかないのか、薄っぺらい教会でした。
 これは私個人の感想ですが、教会で出される食べ物はどれも美味しくなかったです。食べ物で釣るのはかまいませんが、だったらもっとクオリティを上げるべきだと思います。

 牧師も、教会員も全てが薄っぺらい教会でした。
 口先だけの信仰を語っているだけでしたね。
 私は結婚を機に引っ越しましたので、自動的に教会を辞めることになりました。でもそれで本当に良かったと思っています。(終わり)

――――――――――

 以上になります。
 このところ体験談を紹介させていただく機会が増えていますが(皆さんありがとうございます)、やはりどこででも、同じようなことが起こっているのだなと改めて思います。

 当ブログは牧師の問題点を取り上げることが多いですが、今回のお話を見てもわかる通り、信徒の側にも問題があります。行き過ぎた伝道、他者への過剰な干渉、不誠実な態度など、どこででも見られます。伝道して何が悪い、人の世話を焼いて何が悪い、とか言われそうですが、やられる側の気持ちも考えてほしいですね。

 クリスチャンが持つべき必須のスキルがあるとしたら、それは「他者への適切な思いやり」だと私は考えます(それはクリスチャンばかりではありませんが)。この人は今何を考えているのだろうか、こうされたら嫌じゃないだろうか、今自分に何ができるだろうか、などと考えることです。もちろん考えてもうまく行かないことがありますし、失敗することもあります。でもそういうことを通して少しずつ、学んでいけばいいのではないでしょうか。

 もちろん、「その人にとって何が一番良いのか」というのは難しい問題です。時には「何もしない」方がいいことだってあります。選択肢が多い分、迷うことも多いでしょう。
 それでも、相手が嫌がっていること、迷惑がっていることには早く気づくべきだと私は思います。

 熱心なクリスチャンになると、伝道しなければとか、人々を救わなければとか、そういう使命感に駆られて周りがよく見えなくなってしまうことがあります。これはクリスチャンだけでなく、他の宗教の方々にも見られる傾向ですが。
 しかし私たちが福音を伝えていくとしたら、相手は未信者の方々なのですから、やはり最低限の思いやりや配慮が必要なのではないでしょうか。
 日本全体を見ると、キリスト教界は長いこと伸び悩んでいるようです。その原因としていろいろな要因が考えられると思いますが、その中に「他者への思いやりの欠如」があるように、私には思えてなりません。

 皆さんは、どうお考えでしょうか。
 貴重な体験談を投稿して下さったニャンタマさん、ありがとうございました。

QooQ