メンタリングと弟子訓練のちがい(翻訳あり)

2017年11月3日金曜日

「弟子訓練」の問題 翻訳

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■メンタリング

 あまり馴染みのない言葉かもしれませんが、メンタリングというのがあります。キリスト教というよりビジネスの現場などでよく使われる言葉かもしれません。人材育成の方法論の1つです。
 経験豊富な年長者が「メンター」となり、若年者や未熟練者などの対象者(こちらは「メンティ」と呼びます)と、継続的な交流を持ちます。そして対話や助言を通して、メンティが自発的に成長していけるよう支援します。そういう枠組みをメンタリングと言います。

 メンタリングはキリスト教界にも徐々に取り入れられているようです。日本ではまだあまり聞きませんが、欧米のクリスチャンと話すと「私のメンターは・・・」みたいなセリフが出てきます。アメリカに留学した知り合いも、むこうでメンターを見つけてきたそうです。日本ではどうなんでしょう。今後普及していくかもしれません。

 ただこれ、昨今の「弟子訓練」と混同されそうな気がしてなりません。「師が弟子を訓練する」ということで、似ている部分がありますから。でも混同されるべきでないので、今回はメンタリングと弟子訓練のちがいについて考えたいと思います。

■自立性と服従性

 メンタリングは基本、対話や助言が中心になります。その意味でカウンセリングに似ているかもしれません。メンターはメンティの話を聞き、必要な質問をし、内省を促します。メンティが自らどう考えるのか、どう判断するのか、といった「自立性」を大切にします。

 一方で弟子訓練は、おそらく教会ごとに違った様相を見せるでしょうが、基本はこれです。
「師に服従しなさい」
「師の言う通りにしなさい」
「いつも師の判断を仰ぎなさい」
 そしてあれをせよ、これをせよ、という活動に繋がっていきます。良く言えば「実地指導」みたいなものです。やり方を教えられ、その通りにやってみる。でも何をやるかは師の命令次第。という感じで。

 弟子訓練については今までも書いてきましたが、あちこちで問題になっています。近頃頂いた体験談も、どれも弟子訓練に由来するものでした。訓練と称して過酷な労働をさせる、パワハラをする、セクハラをする、暴力を振るう、といった問題が多く起きています。だから私は弟子訓練にははっきり反対です。根本的にやり方や考え方を変えない限り、賛成することはないでしょう。

 一方でメンタリングには、私はまだ希望を持っています。
 もちろん悪用の危険性はありますし、良いメンターもいれば悪いメンターもいるでしょう。でも対話と助言がベースなので、より知的な、理性的なものになり得るのではないか、と思っています。

 ではメンタリングの現場をちょっと見てみましょう。CT Pastors の記事「効果的なメンターになるには(How to be an Effective Mentor)」から、「良い質問をすること(Asking Good Questions)」という項目を翻訳して引用します。ではどうぞ。

(以下翻訳)

良い質問をすること(「効果的なメンターになるには」から抜粋)

 良いメンターの重要な義務の1つは、正しい質問をすることです。メンターは「答える人」でなく、「内省を促す人」です。時に質問は、重要な位置を占めます。

 ランディさんの話。
「私が関わったある学生は、(ミニストリーに行き詰まっていて)自分の課題をこれだと特定しました。でも私がいくつか尋ねていくと、それがまだ問題の表層でしかないことに気づきました。彼の本当の課題は時間管理だったのです。ミニストリーは難しい壁にぶち当たっていました。だから彼の本来的な役割と、ゴールと、より良い時間管理法について、私たちは議論しました。メンターが『鍵』となるポイントを指摘することができれば、本当の助けを提供することになります」

 もう一方で質問は、直面すべき個人的課題を明るみにします。
 ジャネットさんの話。
「救急救命室で働くメンティにこう言ってみましょう。ひどく虐待された女性が運ばれてきましたよ、と。そういう話はしたくありません、とメンティが答えるなら、それは普通の反応です。では次に、それは何故かと尋ねてみましょう。いろいろな理由が考えられます。メンティの内側で何が起こっているのか、何について考えたのか、質問してみましょう。こう答えるかもしれません。
『母が殴られるところを思い出してしまいました』
『人が人にそんなことをするなんて考えられません』
「彼をぶん殴ってやりたい』
 それらの答えは、ヒントとなります。そのメンティをいかに導き、いかに教えるべきかのヒントです」

 続いてペインさんの話。
「メンティの方がメンターに質問するのもまた有益です。自分の困り事についてどうすべきかアイディアを練ってきたり、考え抜いた質問をミーティングに持ってきたりすることを、私は彼らに推奨しています」

 質問はまた、「もっと考えるように」という刺激になります。
 テリーさんの話。
「昨日、ある学生と話しました。彼はパキスタンで教える仕事がしたいけれど、現地の言葉をわざわざ学ぶのは嫌だ、と言いました。パキスタン人は英語を話せるんだから、そこで神学校を開いて(英語で)聖書を教えたい、と彼は言うのです。私はこう尋ねました。それは面白い考えだね。でもパキスタン人が英語を話すからと言って、英語で考えているわけではないと知ってるかな? 彼らは異なる価値観、異なる視点で、パキスタン人として(パキスタン語で)考えているんだよ。君のその方法は、本当に現実的なのかな、と。彼は考え直してくれました」

(以上翻訳)

■メンタリングと弟子訓練のちがい

 ここに、メンターが持つべき1つの明確な方向性が示されていると思います。それは「メンティが自分で考えて自分で進んで行けるように助ける」ということです。それは最終的に、メンティが自分のもとから羽ばたいていくことを意味します。でもメンターはそれを喜びます。メンティがいつまでも自立できず、メンターがいないとどこにも進めないのだとしたら、それはメンタリングの失敗だからです。
 メンティが自由に羽ばたいて、(いろいろぶつかりながらも)自分なりに進んで行けるようになることが、メンタリングのひとまずのゴールと言えるかもしれません。

 それに比べて昨今の弟子訓練は、師が弟子を支配します。弟子は何年たっても、師の許可や指示なしに動くことができません。ある程度の選択は任されるかもしれませんが、基本的には師の判断に従っているだけです。しかもそれだけでなく、時に不本意なことをさせられ、理不尽な扱いを受けます。その延長線上にパワハラやセクハラ、暴力などがあります。

 メンタリングが「自立」を目指すものであるのに対して、弟子訓練は「服従」を目指すものです。大きな違いです。あなたはどちらを望むでしょうか。
 またキリスト教的には、どちらがその教えにかなうのでしょうか。ぜひ皆さんも考えてみて下さい。

 単純に考えて、子供がいつまでも親に頼りきりで、自分で何も判断できず、親に言われるがままだとしたら、それは健全な成長とは言い難いでしょう。もちろん病気や障害やその他の様々な事情で、そのような状態になることがあります。けれど特段の事情がないのに自立できないとしたら、どこかに何か問題があると考えるべきではないでしょうか。

 また両者の行く末を考えてみて下さい。
 健全なメンタリングであるなら、メンティはやがて誰かのメンターになるでしょう。そしてそのメンティもいつか自立して、誰かのメンターになるでしょう。健全なメンタリングは継承され、継続していきます。

 一方で昨今の弟子訓練は、弟子が将来的に師になる可能性は低いです。師になるには他の弟子たちを蹴落とし、師に気に入ってもらえるようにアレコレ手を打たないといけないからです。でもそこまで判断力と行動力があるのなら、そもそも誰かの弟子にはなっていない気がします。弟子たちの多くはただ師に酷使され、疲弊して、やがて燃え尽きていきます。そうでなくても師が生きている限り、どこにも行けません。ずっと使われ続けるだけです。

 さてもう一度お尋ねします。あなたはどちらを望むでしょうか。

■効果的なメンターがメンティにすべき質問

 では最後に、同記事から「効果的なメンターがメンティにすべき質問」を翻訳して以下に掲載します。メンタリングに興味がある方、今まさにメンターをされている方、あるいはメンタリングを受けているメンティの方の参考になれば、幸いです。

(以下翻訳)

・あなたの教会での活動は、神様とあなたとの関係に、どんな影響を与えていますか?

・あなたの使命感(召命感)は明確になっていますか?

・あなたのスキルはどこで試されますか?

・あなたの人格はどこで試されますか?

・将来的にどんな活動がしたいですか?

・あなたを手伝うにはどうしたらいいですか?

・あなたの活動に神様が働かれているとする根拠は何ですか?

・あなたの人間関係や他者との接し方は、あなたの活動にどう影響していますか?

・あなたの成長において、どの分野が足りないと思いますか? どんな不足を感じていますか?

・どんな新しいことに挑戦できそうですか?

・あなたがさらに高潔な人となるために、私たちは何ができるでしょう?

・あなたの(過去の)痛みは何ですか。その痛みは今なおどれだけあなたを苦しめていますか?

・その痛みの結果、あなたはどんな人になったのでしょう?

・全能の神は、あなたの痛みの経験をどのような未来に繋げてくれるでしょうか?

・神があなたの人生に為したことの全部(意に沿わなかったことも含めて)について考えてみましょう。神は何を教えようとしていると思いますか?

(以上翻訳)

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