・カルトって何
今更な気もしますが、教会のカルト化とは何か、という話をします。
まず、カルトとは何か。英語だと Cult 。もともと悪い意味ではなかったようです。けれど人民寺院(アメリカ)の集団自殺事件や、地下鉄サリン事件のあたりから、「社会に害をなす宗教団体」「悪い宗教団体」を総じて「カルト」と呼ぶようになっています。
多分そういう事情を知らなくても、カルトと聞くと「あやしい新興宗教」みたいなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
では真理のみことば伝道協会(カルト被害者の支援・リハビリを行っているところ)のHPから、「カルトの定義」を引用しましょう。
(以下引用)
「カルトとは、ある人間か、観念か、物に対して、過度の忠誠心・献身を現し、非倫理的な方法で人を操作したり、高圧的な手段により人を説得したり、コントロールしたりしようとする集団、あるいは運動である。
(その方法とは、友人や家族から隔離させること、衰弱させること、暗示感応性や服従心を高めるための特別 な手段の使用、グループによる強い圧力、情報統制、個性の抹消や批判的な考えの停止、グループに対する依存心やグループを離れることに対する恐怖心を助成することである。)
これらの手段は、グループの指導者たちの目的を推進するためのものであり、実際に信者自身やその家族、及び社会に損害をもたらす(あるいはその可能性を秘めている)ものである。」(1985年、カルト問題:学者と識者のための協議会)
(引用終わり)
なんだか難しいですね。内容が濃いので、私は飲みこむのにちょっと時間がかかりました。
要は、あの手この手で信徒をコントロールし、命令通りに動かそうとする宗教団体、ということでしょう。その結果として、信徒個人や、その家族や関係者、あるいは地域社会が被害を被ることになります。そういう破壊的な結果をもたらすのがカルトの特徴です。
人民寺院やオウム真理教などはまさに当てはまりますね。
では「キリスト教会のカルト化」ですが、これは教会が上記のような状態になることを指します。
すなわちキリスト教教理を悪用して信徒を(暗に)コントロールし、リーダーが望む行為を自らするよう仕向ける、という状態です。たとえば過度な奉仕や献金(献品)、住居地や就業就学の制限、日常生活行動の制限や禁止、などです。他にも信徒が抵抗しないのを見越して、牧師がパワハラやセクハラ、暴力などに及ぶ場合もあります。
また後述しますが、「寺社油まき事件」のように反社会的行為に至るケースもあります。
このカルト化教会は、近年徐々に拡大しているように私は感じています。と言っても反社会的な行為に走る教会があちこちにあるわけではありません(あったら大変でしょう)。それよりもっと目立たない、外部から見えづらい、でも「中」では確実に起こっている、そういうタイプのカルト化が、拡大しているように思うのです。皆さんから頂く体験談や、いろいろな人から聞く話も、それを裏付けてしまっています。
・日本のカルト化教会の特徴
私が思うに、日本のカルト化教会の特徴は、「内向的」という点です。あくまで現段階の話ですが。
「寺社油まき事件」のように、外部に対して攻撃的・破壊的な態度の教会はほとんどありません。あっても目立ちません。やったとしても(まだ)大したことができないからです。せいぜい神社仏閣を巡ってこっそり油をまく程度です。
それよりその破壊性は内部に向かっています。聖書を悪用して信徒をコントロールし、忙しく働かせ、いろいろなものを制限し、その人生を徐々に(しかし確実に)破壊していくのです。その意味で内向的です。
リーダーはそうやって信徒の犠牲によって教会を成り立たせ、発展させ、拡大していくわけです。でも信徒はその「犠牲」を、「キリストの十字架に倣うもの」と考えます(そう教えられます)。だから文句などほとんど出ません。
こういう意見があるかもしれません。
「なぜそんな酷い教会にいつまでもい続けるんだ。早く離れればいいものを」
「なぜそんな牧師の言いなりになってしまうんだ。おかしいと気付かないのか」
正論ですね。でも理解が足りているとは言えません。
カルト化教会の常套手段はアメとムチです。
信徒を酷使する一方で、労わったり楽しませたりするのも忘れません。その流れをザッと説明しましょう。
①「ラブシャワー」である期間徹底的に愛し、組織(教会)に対する忠誠心を植え付ける。
↓
②「正しいクリスチャンはこうあるべきだ」と徐々に組織のルールを教え込む。
従わないと神の愛を失うとされる。実際に失うのはラブシャワーの方だけど。
↓
③リーダーの命令に従順になったところで酷使が始まる。
ただしリーダーの命令でなく、あくまで「神の命令」だと思わせるのがポイント。
↓
④信徒は疲弊していく。なので優しく褒めたり、厳しく叱ったりでバランスを保とうとする。
時々楽しいイベントを企画して、信徒を喜ばせる。
↓
⑤「おかしい」と声を上げる信徒を激しく責め、あっけなく追放する。
「従順でないとこうなる」という見せしめにする。
↓
⑥結果、従順な信徒だけが残る。そして従順さが強化されていく。
この頃には、教会全体がリーダーの言いなりになっている。
どの信徒も、おそらくどこかで「おかしいのでは」と思うでしょう。でも時々牧師に優しくされ、いろいろ配慮され、話を聞いてもらえて、承認欲求が大いに満たされてしまうと、そういった疑問も消えていきます。むしろ疑問を抱いた自分の方がおかしいのだ、とさえ思うでしょう。
完全なる袋小路に、追い込まれているのです。
さて、この手順を使えば誰でもカルト化教会のリーダーになれるでしょうか。なれません。以前も書きましたが、リーダーにはカリスマ性が必要です。そして実際的な能力も必要です。聖書のことだけでなく、生活全般のことで「牧師の助言通りにしたらうまくいった」という経験を信徒にさせる必要があります。
要は、「牧師の言う通りにした方が(自分で考えるより)いい」という心理状態に、信徒を持って行くことです。これは簡単ではありませんね。リーダーもそれなりに大変だということです。まったく擁護できませんが。
・今後どうなっていくのか
日本のカルト化教会は、上述の通り内向的です。信徒の人生を破壊するに留まっています(それだって大変なことですが)。しかし今後さらに力を付けていくなら、「寺社油まき事件」のような外部に対する「攻撃」に、移行していくかもしれません。
実際、神社仏閣に油をまいて注目されたのはまだ一件だけですが、あれは氷山の一角です。同じようなことをしている教会は他にもあります。ただ油をまくという地味な手段で、かつそこまでセキュリティが整っている寺社も多くはないですから、気づかれていないだけです。
「油まき」は「霊の戦い」の延長線上に位置付けられています。神社仏閣という「敵」を、油で「清める」ということですから。しかし今後、さらに過激な発想が生まれていけば、より破壊的な行為に繋がっていくかもしれません。よくわかりませんが、たとえば一部を壊すとか、燃やすとか。
そしてそれによってキリスト教が問題視されるようになったら、他のまともな教会も影響を受けることになるでしょう。そんなことになってほしくありませんが。
もう一つは、まともな教会とカルト化教会の差がはっきりしていくと思います。カルトはよりカルトに進んでいくでしょう。止まるということはありません。
ただし、「まともな教会だからカルト化の心配はない」ということでもありません。何かのキッカケでカルト化に向かう可能性は、おそらくどの教会にもあります。そしてその最初の変化は、わずかなものです。ボールを指でそっと押して、転がり始めるその最初の瞬間は、ほとんど動いているように見えません。それと同じです。
だからここに書いてあるようなことは、できるだけ多くのクリスチャンの方に知ってほしいと思いますね。そしてできるだけ広めていってほしいです。それが将来的に、多くの教会を救うことになるかもしれませんから。
あ、ちょっと大袈裟でしたね(笑)。
確かに、初めて教会に行った時は信徒からラブシャワーを受けましたが、段々馴染んでくると牧師絶対服従やマインドコントロール、日常生活の制限など、人生がめちゃくちゃになりました。ですが、信徒に言うに言えず、静かに教会を離れました。今となっては離れてからわかることがあるし、離れて正解だなと思いました。
返信削除無事に離れることができて本当に良かったと思います。離れるのも一苦労な場合がありますから。離れた後もしつこく家にきたり、連絡がきたりするケースがありますので、何事もなく離れられたならそれが一番です。
削除でも、一度受けたダメージはなかなか消えないですよね。それを引きずったまま今後の人生を歩むことになると思うと、カルト化教会の罪は本当に深いと思います。
離れて3ヶ月くらいはLINEでちょいちょい連絡来ましたが、返信してませんでした。しかし、連絡が来るだけでも疲れるのでこっちから教会関係の人をブロックしました。
削除また、教会での肉食べ放題イベントのチラシも家に来てましたが、その時、歯列矯正の手術の関係で肉が食べれないのと、元々予定が入っていたのと、根本的に教会に行きたくなかったので、スルーしました。
教会なのに肉の食べ放題って。。。(笑)ぷぷぷ。。
削除なんだか笑っちまったぜおい。
伝道する時のよく言えば題材、悪く言えばエサですね。魚介や世界の料理、スイーツの時もありました。
削除パーティがあるから、お菓子があるから、女の子がいるから、みたいなセリフで誘われて、行ってみたら教会だった、という話をよく聞きますね。半分詐欺みたいな気がしますが笑
削除セールとか、これ買うとこの特典が付いてくるというものがよくありますが、教会の人達は「セール、特典で人を釣ってるから、教会に誘う時イベントで釣っていい」みたいな謎の感覚を持っています
削除良くありますよ。特に大学。
削除聖書を読む会=新興プロテスタント
社会科学研究会=左翼党派
生命哲学ort東洋哲学研究会=創価学会
ヨガサークル・インド哲学と言ったら何処か見当がつきますね。
それを「伝道の知恵」とするか「釣り」とするかで意見が分かれそうですね笑
削除うちの学校では
削除仏教研究会・・・創価学会
社会科学研究会・・・左翼党派
聖書研究会・・・新興宗教系プロテスタント
インド哲学やヨガサークルがあったかは記憶にありません。
ちなみにまともな宗教系サークルもあることはありましたよ。仏教系のサークルは記憶にありませんが、キリスト教系のサークルとしてはキリスト教研究会というのがあったと記憶しています。
中は二つに分かれていて、カトリック班とプロテスタント班に分かれていました。(正教会班がなかったのは、指導する教授に正教会の人がいなかったからと思われます)
プロテスタント班はもちろん伝統宗教系プロテスタントです。
新歓の時期にキリスト教研究会のメンバーが十字架をかかげてキャンパスを歩き回っていたのを覚えています。KGK(キリスト教学生会)のメンバーが仕切っている聖書研究会とは距離を置いていましたね。
もちろんあの当時でも「キリスト教研究会は安全だが、聖書研究会は就職に不利になるからやばい」という噂もありましたよ。
ヨガサークル・インド哲学って、以前そういう名前でオウム真理教が若い信者を集めていたよね。
削除私も教会学校に行っていた頃、クリスマス会、餅つき、バーベキュー…イベントに学校の子供を誘って来いと、目標何人とか達成するとご褒美があるよとか、一時期あったな~。なんか、ノルマを課された営業マンみたいでしょ。
「キリスト教研究会」と「聖書研究会」じゃ全然違いがわかりませんね。特にキリスト教に初めて触れる人だと混乱すると思います。で、たまたま後者を選んでしまった人はいろいろな意味で失敗してしまう(可能性が高い)という。
削除伝道ノルマがあるのは辛いですね。自分はそういうノルマを課せられていたら、早々にやめていたと思います。冗談じゃないというか。
削除確かに、カルト系教会は内向的ですね。その世界でしか分からない問題があって、外側からは見えないです。しかし、現実的に苦しんでいる人がいて、しかも抜け出せない。人生に絶望していた人がそんな所にいってしまったら。。。
返信削除「絶望から希望(ラブシャワー時)。そして、さらなる絶望に。」ですね。
Fuck
絶望から希望、そしてさらなる絶望・・・。一度上げられてから下げられると、絶望も一段と深いと思います。そんなところは行かない方が良かったのですが・・・後悔先に立たずですね。
削除今抱えてる不安を教会によって解決できる!という期待を持ったらいけませんね。結局、教会は何も解決してくれず、ただただ洗脳されるだけの場所だということを伝えたいです
削除たぶん多くの人は、何かしらの期待があって教会に行くのでしょうが、あんまりおかしな期待をしてはいけませんね。教会生活を送ってみたいとか、コミュニティに所属したいとか、そういう些細な期待をならいいかもしれませんが。
削除牧師はこういっていた。「神のために時間や金銭をささげよう」裏を返せば牧師のために奉仕と献金を迫っていた。そして牧師は教会は神の恵みに近いからと教会の近くに住むようしつこく迫られた。やむなく引っ越ししたがその後は日々の仕事のあと毎日遅くまで奉仕させられた。奉仕は奴隷だった。もちろん身体を壊した。しかし、身体を壊しても教会に来いと牧師や牧師に熱心に従う親衛隊のような人からしつこく言われたのをおぼえている。
返信削除組織としての教会はやり方の偏りでマインドコントロールされてしまうことを改めて感じる。
そういう教会では信徒はまさに「奴隷」みたいに扱われますね。でも奴隷にも格付けがあって、上位の奴隷はある程度良い思いができますから、さらにその体制を強化しようとします。自分の地位を守るために。
削除結果、牧師だけでなく、牧師の取り巻き連中も厄介な存在になっていきます。「親衛隊」とはそういうことですね。ほとんど牧師と同罪みたいなものです。
21:14分の投稿者さんのケースは、ヤマギシのような出家コミューン型に分類されてもいいのではないかと思います。(ヤマギシは「全人幸福のために時間と金銭をささげよう」でした。)
削除このケースは社会人だったので、会社を辞めることがなかったのが不幸中の幸いでした。献身者としての身分ながら世俗の労働は一応させ・・・ということですが、ヤマギシでも医者やパイロットの場合は、参画しても農業や畜産や養鶏の作業ではなく、そのまま世俗の労働は続けさせました。(帰宅するのが自宅ではなく、ヤマギシのムラに変わっただけという生活にするわけです。)
21:14さんは、まさにヤマギシに参画した医者やパイロットと似たようなものだったと推測します。これが学生だったら、学校をやめてフルタイムのスタッフにさせられ、小遣い銭程度の謝礼金が毎月出るか、そんな余裕のない場合は、一日に数時間だけ世俗の労働をさせるということだったのではないでしょうか?
チャップリンの名画で「偽牧師」ってのがありましたね。
返信削除国によっては、「牧師」はライセンス制になっていて勝手に名乗ると犯罪になるそうですが?
(仏教の「偽坊主」はタイで警察に取り締まれてます。TVで観たいのでこっちは信憑性高いです。)
以前に比べれば、「認知度」が上がりましたが、まだまだ牧師は誰でも自称できる。神学校と言っても「私塾」に近いものであることはキリスト教に縁遠い人には知られてないのが「権威」の源泉でしょうか?
大学の神学部を出た人と、私塾の卒業生が同じ肩書の仕事って少ないですよね。(私塾を見下してるわけではないですが、「肩書」が同じなのが変だなと思う次第です。)
認可も何もない、カリキュラムも怪しい、それこそ私塾的な「神学校」はけっこうありますね。そこに行けば誰でも牧師と名乗れるみたいな。そういうところでいい加減な牧師が量産されるのは、キリスト教界にとってマイナスだと私は思うのですが、どうなのでしょう。
削除いっそ牧師も資格制にしたらどうでしょうね。
プロテスタントは「万人祭司」ですので、乱暴な言い方をすれば、お坊さんになるために学校に行く必要すらないというのが、本当のところなのです。
削除実際に新興宗教系プロテスタントでは、反知性主義の伝統があるせいか、神学校に行くことがなく、勝手に僧侶になった「私度僧」がいくらでもいます。ひどい人になると、チャーチスクールとかホームスクールで、一般的な「学校」というものに通ったことのない人までいます。(アメリカは多いと聞いています。)
>仏教の「偽坊主」はタイで警察に取り締まれてます。
タイでは仏教は国教といってよく、こういう国では僧侶になるのには、公的責任で免許が与えられます。よって私度僧は違法になります。
>大学の神学部を出た人と、私塾の卒業生が同じ肩書の仕事って少ないですよね。
大学といっても、新興宗教系プロテスタントが宗門の大学として作った東京基督教大学を出た人は、かなり怪しい人と思います。(この大学には悪名高い新興宗教系プロテスタントの教祖の息子や娘が学んでいます。)
>いっそ牧師も資格制にしたらどうでしょうね。
これは無理です。カトリックや正教会と違って公的責任での管理というものに、一番そぐわないのがプロテスタントというものなのですから。これをやったらむしろプロテスタントの意味がなくなってしまいます。ルターを生んだドイツですら、プロテスタントを国教にしていません。
「ジーザスキャンプ」を見てもわかりますが、アメリカの原理主義的な人たちはホームスクールやチャーチスクールで学ぶ人が多いようですね。一般の学校に行く子との温度差は、相当あるかと。
削除でもそれが少数派でないことが、日本と違うところですね。少数派なら大した影響ないですが、むこうでは結構大きな声になりそうです。特に今後。