前回「忙しすぎる教会」と題した体験談をシェアして下さったハミリオンさんから、追加の体験談を頂きました。前回の体験談にも書かれていた「年末恒例のミュージカル」の詳細についてです。さて、「忙しすぎる教会」のミュージカルとは、どのようなものなのでしょうか。
なお今回も、頂いた原文を私フミナルが編集加筆し、ご本人の了承を得て掲載しています。
ではどうぞ。
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・忙しすぎる教会のミュージカル(HN:ハミリオンさんの体験談②)
年末恒例のミュージカルは、伝道活動の1つとして重要視されていました。
このミュージカルに出演するにはまずオーディションを受けるのですが、前回も紹介した通り、出演希望でなくても全員受けなければならない雰囲気がありました。断るのも一苦労です。
オーディションには何故か「自己紹介」の時間があって、名前だけでなく学校や学年、部活や習い事の有無まで言わされました。そして部活や習い事をやっているとなると、その曜日や時間まで言う羽目になるのでした。
ミュージカルの練習が始まると、土日祝日は必ず潰れます。学校行事などで参加できない場合は、事前に監督か関係者に連絡して、了承を得なければなりません。無断欠席などしたら出演させない、などと脅迫まがいなことまで言われます。だから友達と遊ぶなど不可能でした。ひたすら練習です。
そういう状況ですので、受験を控えた中学3年生や高校3年生は、基本的に出演しません。勉強などできませんから。しかし中には出演する人もいました。受験などどうでもいいと思っているのか、あるいは現実逃避しているのか、よくわかりませんでしたが(中にはすでに進路が決まった人もいました)。
10月に入るといよいよ練習が厳しくなりました。金曜の夜から泊まり込んでの「合宿」状態です。そこでは食事作りの奉仕もあり、教会の姉妹らが駆り出されるのでした。まさに教会を挙げてのイベントです。
またミュージカルのポスターやチラシが完成すると、全員総出で職場や学校、近隣の店舗などに貼らせてもらいに出向くのでした。出演しようがしまいが関係ありません。また1枚3千円ほどのチケットも友人知人に買ってもらうべく、皆で営業行脚です。これは小学生や中学生が大きなお金を持つことになるので、正直心配でしたが。
ミュージカルは全て手作りでした。台本や音楽、振り付け、衣装やメイク、大道具や小道具など、全てスタッフによる自作です。それでいて全員無償の奉仕だったと思います。まさに献身を要求されました。ちなみに舞台に出演できるのは高校生までで、高校卒業後は裏方のスタッフとして関わるようになります。ミュージカルに夢中な人たちが、率先して裏方に徹していました。
ミュージカルのために教会がここまでするのかな、と見ていて疑問ばかりでした。
ちなみに、ミュージカルによる伝道効果があるのか定かではありません。
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以上になります。
私自身、かつて教会で同じようなイベントを経験したことがありますので、何となく情景が想像できます。私だけでなく、おそらくこの手の教会に通ったことがある方なら誰でも、同じような経験をされたのではないでしょうか。
あくまで一般信徒の目線から言えば、こういうのは「大変だけど楽しい」イベントかもしれません。文化祭をみんなで頑張って盛り上げよう、みたいなノリの。たとえば出演者は舞台に立って「目立つ」ことで満足感を得るでしょうし、裏方はその舞台を「作り上げた」という満足感を得るでしょう。そういう意味で「楽しい」「夢中になれる」イベントなのかもしれません。
そしてそういう側面がなければ、こんなふうに何年も続かないのではないかな、と思います(もちろん全員が全員楽しんでいるということではありません)。
ただそれは信徒側の感覚です。こういったイベント自体を主導する側、つまり牧師側の目線は、また違ったものになるでしょう。
何ヶ月も前から泊まり込んで練習する(時間的献身)、その準備が最優先される(精神的献身)、舞台製作全般を自分たちで行う(物質的献身)、そしてそれら全てを拒否することができない(しづらい)、というこれら一つ一つが意味するのは、牧師への「絶対的従順」です。牧師の指示命令には全員一丸となって従わなければならない、という雰囲気を作り出すのに、ミュージカルなどのイベントは持ってこいなのです。
信徒たちは「大変だけど皆で頑張るから楽しい」ので、ある程度の満足感があるでしょう。しかし牧師は「全員を従順なコマとして動かせる」から満足するのです。そしてそれを「神への従順」にすり替えているのです。信徒たちは気づきませんけれど。
つまり、信徒たちはいいように利用されている、ということです。本人たちはなかなかそうは認めないでしょうけれど。ミュージカルなどの「素晴らしいものを作り上げた」という自負がありますから。
牧師の思惑は、その背後に隠れているのです。
また「伝道が目的だ」というのも怪しいと思います。このミュージカルにどのくらい伝道効果があったのか、今回の体験談から読み取ることはできませんが、事実、この手のイベントで新しい信徒を獲得できた、という話はあまり聞きません。「やり遂げた」という内輪の満足感で終わってしまうことがしばしばです。
しかし少なくとも、「信徒たちを服従させて一つのイベントを実行する」という牧師の目的は、見事に達成されているわけです。
もちろん、こういう牧師や教会ばかりではありません。しかし、こういう牧師や教会はあります。その事実から目を背けてはならないと、私は思いますね。
再び体験談を投稿して下さったハミリオンさん、ありがとうございました。
当ブログでは引き続き皆様からの体験談を広く募集しています。これは皆に伝えたい、知らせたい、注意喚起したい、という体験をお持ちの方、ぜひご投稿下さい。お待ちしております。
有料ですかあ?!
返信削除「三千円も払って素人芝居見るバカがいるかいっ!」とツッコミをいれてしまいました(拍手喝采)
こんなものどうみたって、近所のピアノ教室の発表会じゃないですか。この程度の催しでお金とろうなんて、完全に世の中をなめくさっています。チケット買うほうも買うほうです。私だったらただでも行こうとは思いません。
しかし好きですよね。ミュージカルとかゴスペルコンサートとか。しかも素人の(笑)。新興宗教系プロテスタントはどうしてかはわかりませんが、素人に踊りや歌や芝居をさせて、それでお金が取れるとでも思っているようで・・・(苦笑)。
イグナチオの聖歌隊のグレゴリオ聖歌は上手だと聞いていますので、一度くらいならお金を払って聞いてみたいという気持ちはありますが、素人のミュージカルやゴスペルを、三千円なんて大枚はたいて聞きに行こうとは思いません。
確かに、三千円というのはちょっと高い気がしましたね。それだけクオリティが高いのでしょうか。その値段でどれくらい人が(知り合いの情けとかでなくて)集まるのか、一度見てみたい気もします笑
削除ミュージカルの練習終わった後に牧師からの話で、「劇団四季はプロの団体で、ここの教会の人達はアマチュア、でも劇団四季になくてここにあるのは、イエス様だ」という話を聞いたことがあります。彼等は神がいればなんでもできると思うかもしれませんが、そういうのを知らない一般市民からすれば、アマチュアのミュージカルに3000円払うのに抵抗があるのもわかります。
返信削除また、ミュージカルのDVDも2014年までは1枚1000円、2016年は3000円になってました(byネットショップ)。なんでこんなに値上げしたのか、気になるところです。
「我々に何々はないけれど、イエス様がいる」というのは教会の慣用句みたいなものですね。もちろん間違ってはいないと思いますが、だからプロが提供するものより価値がある、などと考えるのは論理の飛躍ですね。
削除DVDを三千円にしても、売れるならそれだけの価値がある(と考える人がいる)ということなのでしょうが、どうなのでしょうね。
奉仕について一言いわせてー
返信削除以前の教会で賛美チームに抜擢された私。その賛美チームはお世辞にも上手いとは言えずへたくそで、私よりももっと上手い人いるだろ。そもそもなぜうまくもない私を選んだのか、ずっーと首を縦に振らなかった私にとうとうしびれを切らした副牧師夫人があなたは示されているのよ。と半ば強制的で呆れ顔で私に詰め寄ってきた。私は意地でもイヤだったし私も決してうまくはないが(音痴といったほうがいいかも)あのへたくそな賛美チームに入って生き恥さらすよりはと思い、それで丁寧に断った。が、断っても断っても断らしてくれない。ほかの奉仕はなんでもするけど、これだけはしたくない。と伝えると、無言であたまをふられてあきれられ、変な空気になった。うまいとか上手だとかそういう問題じゃないと言われ神様に従えなのかみたいなことまで言われ、私が不従順な信徒にまで格付けされた。それでも生き恥だけはさらせなかったし、そもそも私を通り越してなんでほかの人に私への示しがいくんだよ。なんで喜んでできない人に神様強制するかよ?って気持ちになったので絶対断固としてそのチームに参加しなかった。霊的っていう教会って霊的虐待をするんだよね、牧師やリーダーに従わないと。断る権利ってないのかよ。皆がそこに憧れているわけではないぞ、そこの賛美牧師。
コメントありがとうございます。
削除賛美チームへのしつこい勧誘と、それを神の啓示だと言い張るのは、まさに霊的虐待ですね。しかもそれを拒絶すると、今度は不従順のレッテルを貼るという、カルト化的教会の特徴を表していますね。かかわらない方がいいと思います。
賛美で注目される牧師やクリスチャンっていますね。アメリカで修行を積んできたという某教会の賛美リーダーというのがいて、何度かそこの礼拝に参加したことがありますが、私はあまり感心できなかったです。なんか自分に酔っているのが、見ていてわかるというか。
でもそういうのがやたらチヤホヤされるという、おかしな世界ですね。