インナーヒーリングの功罪

2017年9月21日木曜日

「インナーヒーリング」問題

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・キリスト教的?「インナーヒーリング」

キリスト教プロテスタント系教会の活動の一つに、「インナーヒーリング」というのがあります。
 プロテスタント系と言っても、聖霊派や福音派に限定されると思いますが。

「インナーヒーリング」は日本語で「内なる癒し」になると思いますが、「心」に焦点を当てた活動です。いわゆる「心」に関する「癒し」です。たとえば日本では「エリ◯ハ◯ス」というのがあって、知り合いが何人か体験し、私自身も誘われたことがあります(実際には受けませんでした。教会奉仕が忙しすぎたので)。
 体験した知り合いは皆「良かった」と言っていました。つまり何かしら「癒された」というわけです。でもそれから長い年月が経った今だから言えることは、「根本的には何も解決していなかった」ということです。まあいろいろ反論もあるでしょうが。

 つまり「インナーヒーリング」を受けた人は、受けた直後はイロイロ良いことを言いますが、結局のところ同じような問題で悩み続けている、ということです。

・その効果判定は

「インナーヒーリング」の効果判定が難しいのは、それが「心」に関するものだからです。
 身体の病気や怪我なら、治ったかどうかわかりやすいでしょう。擦り傷なら一目瞭然です。でも「心(精神)」はそうはいきません。何をもって「治った」とするか、微妙だからです。それでも目に見える症状(幻覚妄想や鬱など)の有無ならわかるでしょう。しかし見えない症状だとわかりづらいです。また「心」の問題は、仮に本人が「もう大丈夫」と言っても、まわりの人からしたら全然大丈夫じゃない、ということもあります。あるいは長い目で見たときに、何も変わっていなかった、ということもあります。

「心」とは難しいものです。

 たとえば何かのカウンセリングを受けた人が、一時的に状態が改善することがあります。それは「話を聞いてもらえてスッキリした」という心理もあるでしょうし、「時間と費用をかけてカウンセリングを受けたのだから効果があるはずだ」という心理もあると思います。あるいは「エリ◯ハ◯ス」みたいな海外から入ってきた目新しい(もう目新しくもないですが)方法論だからすごい効果があるはずだ、著名な牧師やクリスチャンが勧めるのだから効き目があるはずだ、みたいな期待感も関係していることでしょう。

 そのような心理的作用もあり、受けた人の多くは、「効果があった」と言うようになります。他者に熱心に勧めるインナーヒーリング・アンバサダーになる人もいます。
 でも実際にその人のことをよく知っている人からしたら、「実は変わってないんじゃないの」というのが本音だったりします。でもハッキリそう言って傷つけるのも嫌なので、温かく見守ることに甘んじている人もいます。現に私がそうなのですが。

・過去志向、あるいは過去捏造

「インナーヒーリング」は、英語で言うところの「記憶の癒し」がメインになります。
 その人の過去(多くは幼少期)に戻って、その人の心に決定的なダメージを与えた出来事や人間関係を探っていくからです。
 そして特定された原因を「イエス・キリストの御名」によって「断ち切る」とか「許す」とか「手放す」とかします。すると原因が根治されて、その結果として現れていた「生きづらさ」や「苦しさ」や「過大なストレス」から解放される、ハレルヤ、というわけです。

 でも単純に考えてみて、「記憶」を「癒す」ことはできません。事実は事実として変わらないからです。たとえばですが、犯罪の被害に遭われた方は、多少の差はあれ「心」にダメージを負っています。クリスチャンだからと言ってそれが全然平気になるなんてことはありません。
 実際、酷い犯罪被害に遭われた方で、精神的に深刻なダメージを負っている人たちがいます。彼(彼女)らの傷の深さは想像を絶していて、掛ける言葉がありません。今もフラッシュバックや、その他の様々な症状に苦しんでいます。「インナーヒーリングをすれば癒されますよ」なんて誰が言えるでしょう。私には言えませんが。

 また「インナーヒーリング」は、人を「過去」に執着させます。幼少期のあれが問題だった、これが問題だった、あんなことがあったから今こうなんだ、という過去志向の「治療法」です。だから過去さえ治せれば、現在と未来が変わる、という主張です。

 しかし実際にどうかと言うと、「インナーヒーリング」を受けてもなかなか変わらない、というのが現実としてあります。するとどうなるでしょう。その人はさらに過去へ、さらに過去へ、という「過去への旅」を繰り返すことになります。いつ終わるとも知れません。しまいには本人も覚えていないようなアレコレを提示されて、「きっとそういうことがあったんだろう」と納得しなければならなくなります(これは下手すると「過去の捏造」にも繋がります)。

 でも記憶にない出来事で、どうやって心が傷つくのでしょうか?

 たとえば百万円を盗まれたとしても、その被害を全く認識しておらず、自分が百万円を持っていたことさえ覚えていないとしたら、傷つきようがありません。それを後から教えられても、「え、本当に?」と言うしかないでしょう。
 あるいは「あまりにも酷い出来事だったので記憶がなくなっているのだ」と言うかもしれません。でもそこまで酷くて記憶がなくなっているなら、あえて思い出させる方がダメージになります。そもそも言及するべきではありません。

・現場で何が起こっているか

 実際に行われている「インナーヒーリング」の現場では、肉親が悪者扱いされることが多いです。特に「幼少期に父親から暴力を振るわれたのが◯◯の原因だ」みたいに、父親が元凶にされることが多いです。いくら本人が「そんな父親ではありません」と反論しても、「いや、あなたが覚えていないだけだ」と言われてしまいます。

 要は、「インナーヒーリング」の現場においては、「記憶にないけど酷かった体験」が必要なようです。そしてその体験のせいで深層心理のレベルに深い傷ができていて、それが現在のあなたに悪影響を及ぼしているんだ、という「筋書き」にしたいようです。そうすれば本人は「埋もれていた過去を探ってもらえて、癒しを受けることができた」と考えるようになるからです。

「エリ◯ハ◯ス」を受けた知り合いに、「父親を悪く言われて正直腹が立った」と言う人がいます。その人に関して言えば、教会のにわか「インナーヒーリング」なんて受けない方がまだ良かったでしょう。「苦い根」を取り除かれるはずが、余計に植え付けられてしまったのですから。

 また冒頭に書いた通り、受けて「良かった」と言う人はいますが、結局のところ根本的には何も変わっていない、というケースが多く見られます。もちろん全例を見たわけではありませんが。

・「インナーヒーリング」の功罪

 さて「功罪」というタイトルの記事を書きましたので、「罪」の部分だけでなく、「功」の部分も書かないとフェアではないですね。
 でもごめんなさい。たとえば「エリ◯ハ◯ス」を受けた人が、自分でどれだけ高評価を付けたとしても、結果的に「受けて良かったですね」と言えるケースを私は知りません。「効果があったと思いたい」人なら沢山知っています。でもそういう彼らはどちらかと言うと、被害者ではないでしょうか。

「エリ◯ハ◯ス」に実際に目覚ましい効果があり、打ちひしがれた「心」を回復して再起させる力があるのなら、何より臨床心理の現場で用いられるべきでしょう。アンバサダーの皆さんは、狭いクリスチャン界隈で細々と宣伝するのでなく、医療保険の適用になるよう尽力されるべきではないでしょうか。それこそがキリスト教の社会貢献だと私は思います。

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