再臨(携挙)信仰に潜む幼児性

2024年9月20日金曜日

「終末」に関する問題

t f B! P L

 「キリストは2028年までに再臨する」と断定するクリスチャンがいるので記録として残しておく。


 Xの投稿のリンクは以下。
 https://twitter.com/ys_Bible/status/1829499647477665977

 2029年の元日に謝罪と訂正をするように伝えた。5年後だがあっという間だ。その時に当該人物が持ち出す言い訳は予想がつく。
 「主が思い直された」
 「そうなるはずだったが、神の深淵なるご計画は分からない(=自分のせいではない)」
 あたりだろう。

 これまでも再臨や携挙の時期を断定するクリスチャンはいたが、みんな外していて、みんな同じような言い訳をしている。私としては既視感しかない。おそらく上記の人物以外にも、2029年以降にも、同じように再臨や携挙の時期を断定する輩が現れるだろう。人間はみんな同じことを繰り返す。どの時代にも愚かなことが繰り返される。

 だからこうして記録に残しておきたい。のちの人々が当ブログから少しでも学んでくれたらと願う。人生は一度しかないし、驚くほど短い。私のように20年も無駄にしてはいけない。再臨も携挙も当てにしてはいけない。

 再臨信仰(=携挙信仰)には、「こんな世界で生きたくない」という厭世的な願望が潜んでいることが多い。自死も病死も事故死も大きな苦しみが伴うけれど、携挙でサッと挙げられるなら楽だからだ。これ以上生きなくて良いし、死を避けられるし、天国に行ける。一石三鳥だ。

 そしてもしそういう願望に心当たりがあるなら、信仰云々の前にその生きづらさや苦しさにとりあえず対面した方がいいと思う。もちろん対面した結果、どうにもならないという結論に達するかもしれない。けれど再臨や携挙に希望を持っても、残酷な結末しか待っていない。あなたの生きる苦しみは続くし、やがてくる死を避けることはできない。再臨や携挙は実のところ、あなたに希望を与えてくれない。残酷かもしれないけれど、これが事実だ。
 自分が生きたくないのと、世界を終わらせるのは違う。それはリセット症候群に近い。上手く行かないボードゲームを、盤ごとひっくり返して「リセット」しようとする幼児性が背後にある。それは信仰などではない。

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