クリスチャンの婚前交渉はアリ? ナシ?

2020年2月17日月曜日

婚前交渉の問題

t f B! P L
 クリスチャンの婚前交渉の話で、「罪だからダメ」「神様を悲しませるからダメ」というのは無責任だと思う。聖書はいかようにも解釈できるのだし、世間的道徳観も多分に混じっているし、望んでいなかったのに結果的にそうなってしまったというケースもあるのだから。また個人の自由を侵害する行為でもあると思う。

 もちろん貞節を守りたいと願うのは良いことだけど、教会の立場の強い人達が「守らないと失格」「罰せられる」と言ったとたん、それは信仰を盾にした脅迫になる。

 婚前交渉を経験してきた人がそこに入信したら「自分は汚れている」と自身を責め続けることになる。なんとなく「キズモノ」というレッテルを(本人も周囲も)感じるだろう。しかし人には人の事情がある。その事情を想像したり配慮したりするのが「愛」なのでは。

 婚前交渉を簡単に「罪」と言ってしまうのは、たとえば風俗産業で(様々な事情で)働く人たちや、性依存症に苦しむ人たち、度重なる性被害にあった人たちの人生を否定するのと同じことでもある。そんな権限が教会にあるのですか? 自分たちだけ「きよい」と線引きして、高嶺に置く教会に、存在意義があるのですか? と思ってしまう。

 上記のようなやむを得ないケースでなく、婚前交渉を「するかしないか」選択できる立場なのは、もしかしたら恵まれているのかもしれない。
 そのうえでどちらを選ぶかは、特に成人であれば、個人に委ねられているはず。教会が口を出すことではないと思う。

 という理解のうえで書くと、(キリスト教信仰と関係なく)婚前交渉の結果傷つきやすいのは圧倒的に女性の側なので、男性は女性を守ることを第一義にすべきだし、女性は(わたしに言われるまでもないことだけど)そういう意識を持っていた方がいいと思う。

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