①
教会の電子レンジが壊れたので処分して新しいものを買おうとしたら、「昔◯◯さんが献品してくれたものだから捨てないでくれ」と言われて、そのまま新しいやつの隣に鎮座したままになっている、という話を聞いて仏壇みたいだなと思った。
②
クリスチャン夫婦の夫の方が、妻がこうなんですよと教会で不満を漏らすと、あとから妻が牧師夫妻に呼ばれて「◯◯しなさい」と言われる。でも同じことを妻がすると大体その場で「男性はそういうものだから」とか「我慢してあげなさい」とか言われる。これ男尊女卑じゃなかったら何なの。
③
ある教会の伝道会議にて。
教会「伝道強化だ。何でもやるぞ」
皆「会堂を開放したら」
教会「主の宮を汚してはならん」
皆「SNSを活用したら」
教会「この世に迎合してはならん」
皆「慈善事業などやったら」
教会「導かれたらな」
皆「もっと間口を広げたら」
教会「狭い門から入れと書いてある」
皆「何でもやるのでは...?」
④
何でも正直に腹を割って話してくれ、言いにくいことでも構わない、何でも言えるのが神の家族なんだから、と言われたので「あなたの怒り方は異常だと思う」という意味のことを牧師に婉曲表現で伝えたら、めちゃくちゃ怒られた。以来「神の家族だから」というワードに警戒するようになっている。
⑤
教会の若い人が「良き時間」とか「良き交わり」とかの文語体を臆面なく使っているのを聞くと、日本のサムライ魂がしっかり受け継がれてるなと安心する(安心しない)。
⑥
キリスト教書店のある棚をザッと眺めると。
「若いクリスチャンのための10の祈り」
「夫婦のための20の祈り」
「霊的生活を建て上げる5つの習慣」
「思考を制する7つの霊的実践」
「3つのゴール」
「教会生活は5つの祈りと共に」
「祝福に満ちた人生のための30の祈り」
クリスチャン忙しいっす。
ところで巷に溢れるビジネス系啓発本と同じような雰囲気を感じるのは自分だけ……?
⑦
最後に、自分自身に呆れた話。
教会でこれこれのトラブルがあって解散になった、次にどこの教会に属するべきか悩んでいる、という話をした時、ある人から「信仰のことで被害にあった人はいずれ信仰のことで他者を加害するようになるから、教会に行くべきでない」みたいなことを言われて、なんだか呪いを掛けられたような気分になった。
でもその人が言わんとすることが、何となくわかったんですよ。今も教会に属さない理由の一つは実はそれ。教会で自分がやられた分だけやり返してやる、みたいな加害欲求みたいなものが自分の中にあるんですよ。そういう自分自身に呆れる。
ふみなるさんのブログを拝読していますと、驚愕する事例ばかりで本当にたいへんご苦労されたんだな…とよく思います。この間、ネットサーフィンをしていたら、たまたま『宗教依存症』というワードを発見して気になってチェックしてみたら、大体ふみなるさんがいつもご指摘されている事例に近しい内容が出てきましたφ(..)
返信削除参考になるかわかりませんが、さわりだけ貼らせてくださいm(__)m
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【宗教依存症になる人の問題点】
多くの場合、宗教依存症になる人は、以前から心から話ができ、意見を交換できる信頼し合える人がおらず、自分を否定されることを恐れ、自分に自信が持てない状況であったことが多い。心の隙間を埋めるために宗教に没頭するため、自分の間違いを指摘されるのを嫌い、そこには触れさせないようにしてしまう。
宗教の問題点
多くの宗教が、宗教依存症になる事と信仰深くある事の違いを明確に表していないことが問題である。その違いを明確にしないことで、宗教と信者の共依存状態となってしまっている場合が多く存在する。また、共依存となっている状態が互いの心と組織の安定としてしまっていることがある。
解決法
自分が責任の取れる価値観を確立する。
宗教を関係させずに、人として心から信頼しあえる友人を作る。
物事の因果関係を知り、根本的な問題解決や目標達成を行い続け、自分や自分の獲得した環境、人間関係に自信を持つ。
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自分も気を付けようと思いました…いつもお勉強させてもらっています。ありがとうございます。
私も、いわゆる教会の被害者の一人です
返信削除(もちろん教会側は自分の言動が人を傷つける可能性についてなんて考えたこともない)
そうなんです
教会があれほど嫌いなのに
止せばいいのに顔を出すのは
なにか自分が受けた苦痛と釣り合うだけのリターンを回収しようとしてしまうからなんでしょうね
心理的にすごく根深い陰湿な何かが自分の中に働いていて
自分はそれをコントロールできていない
もう、教会に行っていた時期は災害に遭ったものと思って
すべて忘却して忘れ去ってしまうべきなんだろうと思い始めています
確かに、すがるもの、頼るものなしに生きていけるほど人は強くない
でも、神に、キリスト教に、すがったところで結局踏みにじられるだけだったのです
神はいなかった
人が神を作っていたのです