「罪」意識の問題? 「差別」意識の問題?

2019年3月27日水曜日

性的マイノリティ

t f B! P L
 少し前からモヤモヤしてたことについて。

 知っている人は知っていると思いますが、SNS上である人が(クリスチャン向けに)こんなアンケートを取っていました。要約するとこんな感じです。

「同性愛は直すのが神の御心だと思いますか?」

 このアンケートには300人以上のクリスチャン(と思われる)が回答し、結果は約4割が「ノー」でした。「イエス」は2割くらい。あとは「わからない」と「無回答」。つまり半数くらいの人が「御心だとは思わない」を選んでくれたわけで、それ自体は安心しました。

 でもこういうアンケートを取ること自体どうなの? と私は正直思いました。
 なぜならわざわざマイノリティ(少数派)を吊るし上げて、「これは罪なのか、そうでないのか」と見世物にしているように感じたからです。

 似たような例を挙げてみましょう。

 転校生の頭髪にパーマが掛かっていたとします。本人と保護者は「天然パーマです」と言い、担任教師も特に問題視していません。でも学級会で、ある生徒たちがこう言い出しました。
「天然パーマだからって許されるんですか? 校則違反に変わりないですよね? ストパー掛けさせるべきじゃないですか? みんなどう思います? この場で採決しましょう!」

 これの何が問題か、おわかりでしょうか。
 本当に天然パーマかどうかを疑っているのが問題なのではありません。
 問題は中立な立場でアンケートを取る振りして、問題視して、わざわざマイノリティを吊るし上げている点です。公の場で声を上げて、晒し者にしているのが問題なのです。

 弱い立場(マイノリティは基本的に弱い立場に立たされています)の人をわざわざ指さして、こいつはどうなんだ、と問題視する。これは、その結果どういう意見が大勢を占めるかに関係なく、弱者いじめの構図です。つまり吊るし上げられた時点で、もう加害/被害が成立しているのです。

「中立な立場でアンケートを取りたいだけです」という善人ぶりした、あるいは探求者ぶりした加害。私がモヤモヤしたのは、まさにこの点です。

 たぶんアンケートを取った本人はこう言うでしょう。
「差別的な意図はありませんでした」
「誰かを傷つけるつもりはありませんでした」
「理解を深めるためにやったのです」

「差別」について深く知るべきです。 何が差別で、何が差別でないのか。
 最近、ブラックフェイスやホワイトウォッシュなどいくつかの事案で、日本人の差別意識の低さが次々と露呈しています。冒頭の「同性愛アンケート」もそれと無関係でないでしょう。

 日本は基本的に同質社会・均質社会ですから、差別に遭遇する機会が総じて少なく、差別意識が醸成されづらいです。それ自体は仕方ありません。でもだからこそ、差別についてもっと意識するべきですし、知るべきですし、考えるべきです。キリスト者なら尚更ではないでしょうか。

おそらく「同性愛アンケート」をした本人は、加害意識があったわけではないでしょう。単に「同性愛は罪か否か」を探求したかっただけかもしれません。しかし罪かどうかの議論とは別に、その行為自体が差別であると知っておくべきでした。罪意識の問題でなく、差別意識の問題です。そのことが残念でなりません。

 この件で傷ついた方々、ダメージを受けた方々がいらっしゃいます。その方々に言います。件のアンケートは不当なものでした。あってはならないことです。本当に残念です。皆さんに慰めがありますように、心からお祈りします。

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