進化論 vs 創造論。何が問題なの?

2018年1月23日火曜日

教会生活あれこれ

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 今回はちょっと、「進化論」と「創造論」について書きたいと思います。

 皆さんの教会は「創造論」推進派ですか。それとも「進化論」でオッケー派ですか。
 そしてあなた自身は、どのように考えていますか。

 これはアメリカではずっと議論されている問題です。裁判にまでなりました。アメリカでは公教育が進化論を教えていて、ファンダメンタルな教会群がそれに反対しているからです。彼らは反進化論(創造論)を主張しています。

 進化論 vs 創造論、という構図です。

 日本では、聖霊派系の教会群が創造論を主張しています。と言っても日本では絶対数が少ないので、その声は非常に小さく、まったく相手にされていませんが。

 創造論者の主張は「聖書の記述はすべて正である」というものです。
 だから「神が6日間で世界を創造した」というのを文字通り信じています。すなわち何もなかった空間に光ができ、闇ができ、大空ができ、大洋ができ、地面ができ(以下略)、というのを1週間足らずで神がやった、と信じているのです。

 そんな創造論者が指摘する、進化論の大きな問題点は、「猿が人間になるはずがない」というものですね。「生物は種にしたがって造られたのだから、猿は猿、人間は人間なのだ」と。

 でも「猿が人間になった」というのは、進化論の主張を簡略化しすぎた表現です。あまり正確ではありません。

 進化論は、何かを断言するものではありません。生命のなりたちを探求する「試み」であり、科学です。研究の途上なので沢山の穴があり、欠点があります。そして現段階の仮説として、「突然変異が生命進化の鍵ではないか」と推測しているわけです。と私は理解しています。

 だから「進化論者は猿が人間になったと言っている」というのは、正確ではありません。

 さすがに、猿が人間になるというのはおかしい気がしますね。
 でもだからと言って、進化論が全否定されるわけではありません。実際、細胞レベルの突然変異は常に起こっていますし、形質が大きく異なる個体が生まれることもあります。これは進化の「可能性」を示唆していて、その可能性自体は否定できません。猿の一件がおかしいからって、それで全部がダメとは言えないのです。

「進化論は科学的に証明できない」と創造論者は言いますが、では逆はどうでしょう。創造論は科学的に証明できるのでしょうか? できません。

 創造論のズルいのは、「神の力」「創造の御業」というマジックワードを使うところです。

Q「神が6日間で天地万物を創ったのですか?」
 ↓
A「そうです。聖書にそう書いてありますから」
 ↓
Q「ではそのプロセスはどういったものだったのですか?」
 ↓
A「それは神の創造の力です」
 ↓
Q「その力とはどういったものなのですか?」
 ↓
A「それは神のみが知るところです」

 創造論者は進化論の「穴」を指摘しますが、それを言うなら創造論こそ「穴」だらけです。わからないことは全部「神の力」で済ませていますから。まったく科学的でなく、同じ土俵に立っていると言えません。

 私が思うに、「進化論 vs 創造論」の本当の問題点は、この「同じ土俵に立っていない」という点です。進化論が「科学的探求」であるのに対して、創造論が「信仰の表明」だからです。
 科学と信仰がぶつかり合っても、そもそもベクトルが違いますから、結局「話にならない」のです。

 ある病院での話です。
 入院患者のAさんは、某学会の熱心な信徒です。毎朝ベッドで1時間以上、念仏(?)を唱えています。
 ところが大部屋なので、他の患者さんたちが迷惑していました。
「念仏を唱えるのはいいけれど、短めにしてほしい」
 皆でそうAさんにお願いしました。
 それを聞いたAさんは、激怒しました。
「信仰の自由を奪う気か。俺が祈れば皆に良いことがあるのに、なぜ邪魔するんだ。俺はどんなに止められても、祈るのをやめない」

 そんな感じで、まったく話になりませんでした。理屈も通りません。

 進化論 vs 創造論の議論を見ると、よくこのAさんのことを思い出します。

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