ブラックフェイスと差別と笑い

2018年1月7日日曜日

時事問題

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 大晦日に放送されたテレビ番組「絶対に笑ってはいけない〜」で、ダウンタウンの浜田さんがブラックフェイスを披露したのが、物議を醸しましたね。「黒人差別だ」との批判が起こり、海外のメディアにも取り上げられました。それに対して「日本に黒人差別の感情はない」「ユーモアが理解できないのか」みたいな反論も起こっています。
  皆さんは、どう考えられたでしょうか。

 私は同番組を付き合いで少し見ましたが、あんまり面白いとは思わなかったです。むしろ蹴る、叩く、汚いことをする、という笑いが散見されて不快でした。ブラックフェイスの件は後から知りましたが、やはり何が面白いのかわかりません。ついでに嫌がるベッキーさんにタイキックを食らわすのも全然笑えません。
 まあ笑いの嗜好の問題かもしれませんが、少なくとも私は全般的に「ユーモア」として理解できなかったです。

 それはいいとして、ブラックフェイスは差別だったのでしょうか。それとも笑いだったのでしょうか。

 差別とは、された方が「差別だ」と声を上げることで成立します。だから「差別感情はなかった」という反論には、意味がないように思います。差別感情があろうがなかろうが、意識していようがいまいが、された方が「これは差別だ」と感じたなら、それは差別だからです。

 だいいち、差別者が「これは差別じゃない」と言えば差別でなくなるとしたら、じゃあ差別っていったい何なのですか? という話になります。
 世界中のあらゆる差別が、「これは差別ではない」「ほんの冗談だ」という主張だけで解消されるなら、差別は存在しなくなります。でも実際にはそうではありません。

 昨今大きく取り上げられるようになった、LGBTQ差別について考えてみましょう。
 LGBTQとはご存知の通り、性の対象が同性だったり、両性だったり、性自認が合わなかったりすることです。それは生まれ持っての性質であり、変える必要のないものです(また、変えたくても変えられません)。

 でもそれらは性の一形態であって、何ら問題ありません。統計的に少数派ですけれど、少数だから悪いなんてこともありません。
 でもそれを「気持ち悪い」「同じ人間と思えない」「間違っている」みたいな評価を多数派が押し付け、あるいはからかい、あるいは笑いのネタにするので、された方は「差別」を感じるのです。そして「差別」が生まれます。した方は感じませんけれど。

ブロガーで作家のはあちゅうさんは、「スクールカーストは下からだけ見えるもの」と言っています。つまり下層に行けば行くほど「格差」を強く思い知らされる、ということです。上の層の人たちは、そんなこと気にしません。差別もこれと同じですね。

「差別なんてしてない」「あれは差別じゃない」「過剰に反応しすぎだ」と言う人は大抵、された方の気持ちがわかっていません。だからそのへんをちょっと考えてみたらいいのではないかな、と私は思います。

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