カルトっぽい教会を離れた後の話・15

2016年3月1日火曜日

教会を離れた後の話

t f B! P L
 私の教会には沢山のタブーがあった。
 たとえば映画や音楽は悪魔の影響を受けるからダメ。本や雑誌も同様。男女交際は罪と堕落の始まり。飲酒喫煙もってのほか。他の教会に遊びに行くのもまず牧師に相談。贅沢品など買う余裕があったら献金して天に宝を積みなさい。その他諸々。

 それらの中でも群を抜いてタブーだったのが、牧師に反対意見を唱えることだった。牧師の意向を断ったり、牧師がやろうとすることに反対したり、今やっていることに異論を挟んだり、それらは全部「牧師批判」あるいは「教会批判」とされ、どこにも明文化されていなかったけれど、大変な「重罪」とされていた。 誰も何も言わないし、それは空気みたいに見えないのだけれど、いや空気のように確かに存在していた。暗黙のルールとして。

  だからたとえば牧師から新会堂建設の話が出た時、本当に新しい会堂が必要ですかとか現状じゃダメですかとか言うと、「それが御心だ」とか「そうやってみんなの高まっている気持ちを削ぐのか」とか本気で怒られてしまう。
 教会が終末思想に取り憑かれていよいよ危険な雰囲気だった時、1人の信徒(若い女性)が、その雰囲気に異論を唱えるために勇気をもって牧師のところに行った。結果、彼女は大泣きして牧師室から出てくることになった。
 ある教会役員は、終わらない奉仕や牧師の叱責の毎日に疲弊しきっていた。そしてある夜、ついに牧師に辞意を伝えた。役員を降りて、普通の信徒に戻りたいと申し出たのだ。 すると牧師は烈火のごとく怒った。お前がしていることは教会批判だ、今すぐ緊急役員会を召集してお前の処遇を検討しなければならない、それが嫌なら今すぐ悔い改めろ、と捲し立てる。まさかそういう展開になるなんて思わなかったその役員は、絶句する他なかった(結局牧師に謝ったのだけれど)。

 そういう事例を挙げるとキリがない。牧師に反対して追放処分になった人も少なくない。当然「追放」なんて言葉は使われず、牧師の口から出るのはいつもこういう台詞だった。「不従順な信徒が自ら出て行った。私は愛をもって止めたのに」

 そこでは「反対意見=不従順=教会批判」であった。そして反対意見を言う人は締め出されるし、それを見ている人たちは余計に反対しづらくなるから、結果的に全員が牧師の言葉に即決でハイと言うようになっていった(あるいはそういう人間しか残れなかった)。

 「反対意見=不従順=教会批判」

 当時の私は疑問に思わなかったのだけれど、この方程式は間違っている。あるいはその方程式が成立するケースもあるだろうけれど、反対意見の全てが不従順とイコールになるのではない。たとえば新会堂設立で考えてみれば、「予算的に現段階では無理です」と言うのは反対意見ではない。冷静な現状分析あるいは現実的な忠告だ。
 また「教会の雰囲気がおかしい」という信徒の問いかけは、むしろ牧師にとって貴重な意見のはずだ。なぜそう思うのか、何がおかしいと思うのか、ちゃんと話を聞いてもいいだろう。特に相手は見知らぬ誰かでなく、教会の信徒なのだから。それを「教会批判だ」の一言で叩き潰すのは、信徒に対する愛情だろうか。

 というのは考えてみれば当たり前なことなのだけれど、当時の私にはわからなかった。もしわかっていれば、私はとっくの昔に追放されていだろう。

・「教会批判だ」で放置される問題

 キリスト教界で「批判は良くない」という台詞を時々見る。牧師批判・教会批判は悪いことだ、罪だ、害をなすだけだ、という論に一理もない訳ではない。しか しその結果、あらゆる「困り事」を我慢して「感謝します」としか言えなくなるとしたら、その方がよっぽど良くない。そこには批判と非難の混同がある。

「批判」には「物事の良し悪しを判断する」「誤りを指摘して正す」という意味があり、特にコミュニテの中で建設的な役割を持っている。一方で「非難」には「人の欠点や過失を責め立てる」という意味があり、コミュニティを破壊する可能性を秘めている。両者が正反対なのは明白だ。前者は良いものだけれど、後者は確かに「良くない」。
 
 たとえば聖書を見てみると、旧約でも新約でも、コミュニティ内の「困り事」を申し立てて正当と受け入れられた人たちの話がある。またパウロは皆の面前でぺテロを批判し、結果、異邦人がユダヤ人的慣習を受け入れなければならない事態を回避した。彼らは単に誰かにケチをつけたかったのではない。問題を正すために言ったのだ。それは間違いなく、非難でなく批判だ。
 
 だが今教会でよく語られる「批判は良くない」は、そういう正反対の両者をゴチャ混ぜにしていると思う。そしてイロイロな問題を放置させることになっていると思う。単にケチをつけることと、問題を正そうと思って発言することとは全然違うのに。

 という訳で私は「非難は良くない」には同意するけれど、「批判は良くない」には全然同意できない。

QooQ