陰謀論・終末論にご用心

2015年3月23日月曜日

教会生活あれこれ

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『フリーメーソン陰謀論の心理』という記事を読んだ。

 人はなぜ陰謀論が好きなのか、陰謀論はどう危険なのか、ということが書かれている。陰謀論や終末論を利用するカルト宗教にも言及されていて興味深い。

 オウム真理教の麻原彰晃が国政選挙で大敗した後、「票が操作された」みたいな陰謀論を主張して武力闘争に向かった、というのはいかにもカルト宗教っぽいけれど、同様の傾向は聖霊派教会にもある。

 たとえば終末論や携挙を主張するおかしなクリスチャンは後を絶たない。もうすぐ地震が起こるとか噴火が起こるとか言って、どこそこに避難すべきとか主張する。そしてそれが外れると、「回避された」などと架空の「神の恵み」をでっちあげる。

 あるいは教会の計画がうまく進まないと、「悪霊の妨害がある」みたいな陰謀論を唱える。実際に見たケースを挙げると、大口の出資を得られなかったのを「フリーメーソンの暗躍のせいだ」とか言う牧師がいた(もはや牧師失格のレベル)。

 カルト教祖や宗教指導者にとって、陰謀論はたぶん利用しやすいんだと思う。不都合を処理する口実になるからだ。自分の野望がうまくいけば「神の恵み」、いかなければ「敵の陰謀」のせいにすればいい。すごく勝手で、当然ながら許されない。

 一方で、それを信じてしまう信徒の方の問題もあると思う。
 もちろん信徒は普段から牧師にそう教えられているから、それを疑ってかかるというのは実際には難しい。けれど聖書をちゃんと読めば矛盾していることに気づくだろうし、常識の問題あるいは良心の問題としても、違和感を感じることがあるはずだと思う。

 そういう自分の中のアラートをどう処理するかは、やはり個々の信徒に委ねられている。

 終末を強調するある教会があって、そこの信徒がこんなことを言っていた。
「どうせ終末なんだから、最長ローンで良いマンションを買うべきでしょう。どうせ返さなくていいんだから
 なんかさも信仰深い発言みたいな感じだったけど・・・、あの、それって要するに、借金踏み倒そうって話ですよね?

 陰謀論や終末論を主張する教会は、そんなふうに全体的にモラルが下がっているように思える。もちろん全員が全員という訳ではないだろうけれど、「赤信号みんなで渡っちゃえ」的な雰囲気があるのは否めない。

 引用記事にもある通り、聖書は終末だからこそ落ち着いた生活をするよう勧めている。何か特別なことが必要だとは言ってない。以前も書いたけれど、終末だからと何かを始めるのは、試験前夜に焦って猛勉強を始めるのに似ている。

 彼らは聖書より、牧師の話を聞くことに慣れてる。だから牧師が陰謀論や終末論をでっちあげれば全部鵜呑みにしてしまう。
 彼らは牧師にとって良い「羊」であろう。けれど彼らの羊飼いはキリストでなく、その行く先は、主の牧場のほとりでもない。
 そのことに早く気づかないと手遅れになるけれど、手遅れにならないと気付かないのもまた事実。ではどうしたらいいか? 私もその答えを知りたい。

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