今回は自然現象とキリスト教の絡みについて少し。
・「神の眼」「神の手」?
ハッブル宇宙望遠鏡の画像をNASAのホームページで見ることができる。
へび座わし星雲の画像は以下みたいな感じで、たぶん知っている人も多いだろう。
一時期、一部のキリスト教会で類似の画像がもてはやされた。ちなみに上の画像は「神の眼」、下のは「神の手」みたいに呼ばれた。「神様は宇宙スケールの方。すげー!」という訳だ。
この画像を絡めたメッセージが語られた。「神様は全宇宙を見通しておられる。その御手は地球など簡単につかめるほど大きい。この方が私たちの天の父なのだ」
それで会衆一同大いに感動し、涙ながらに祈って神様に感謝する、というのが定番の流れだった。
けれど神様を物理的な大きさで測るのは無理がある。神様は偏在しておられるからその位置を特定することはできない。あえてするなら「どこにでも」ということになる。
もちろん「神の眼」「神の手」というのが比喩であって、全宇宙を支配しておられるという意味なのはわかる。けれど宇宙スケールでさえ神様を語ることはできない。なぜなら神様は宇宙をも創った方で、その被造物の中に留まっている訳ではないからだ。
またこのメッセージは「自分から見てどうか」という視点に終始しているのが問題だ。
わし星雲はガス星雲であって、刻々とその姿形を変えている。だから上記の画像はある時点、ある地点のハッブル宇宙望遠鏡から見たものに過ぎない。別の角度から見たらまた違ったものに見える。それを自分たちの立場から見て「神の眼・手だ」と言うのは単なる偏見でしかない。
「自分から見てどうか」という視点で物事を捉えるのは仕方ないことではある。けれど人間には想像力や他者への配慮という能力が与えられている訳で、自分以外の視点に思いを馳せることもできる。そういう能力を発揮しようとしないのは、クリスチャンとしてどうかという以前の問題であろう。
・地獄の門?
トルクメニスタンに「地獄の門」と呼ばれる場所がある。
1971年の落盤事故で地面に空いた大きな穴である。有毒性の天然ガスが絶えず噴出しており、やむなく点火してガスを燃焼させたところ、もう40年以上燃えているという。
クリスチャンがこの穴を文字通り「地獄の門だ」とか言い出さないことを願う。黙示録に描かれている「底知れぬ穴」と関連づけて、荒唐無稽な空想話を展開されたら手も付けられない。「霊の戦い」をしに行くなら、「戦い」に夢中になって足を滑らせて穴に落ちないよう、気をつけていただきたいものだ。
人をあおる説教はやめてほしいですね。聖霊派を出た者として一言。
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