"Jesus Camp" に思う、クリスチャンの「質」の大切さ

2014年6月22日日曜日

カルト問題

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 前回紹介した"Jesus Camp" 関連でもう少し書きたい。

 このキャンプを主催する「キリスト教福音宣教会」は、教派としては(一応)ペンテコステ派に属するとのこと。そして統計的データはないけれど、アメリカではペンテコステ派は多いようだ。だから、あのドキュメンタリーにも「アメリカを動かす」という大それた副題が付けられていると思われる(もちろんペンテコステ派の全てがあんな様態なはずはないと思うし、ああいう団体がアメリカを動かしているはずもないと思うけれど)。

 アメリカはキリスト教国だから教会もクリスチャンも多くて、大統領も公式のスピーチで"God bless America"とか言うし、さぞクリスチャンにとって住みやすい環境ではないかと、私などは想像している(あくまで想像だ)。かたや日本はクリスチャン人口1%未満と言われ、場合によってはクリスチャンだと表明するのも勇気がいる。マイノリティゆえに肩身の狭い思いをする機会は、決して少なくない。

 しかしもし"Jesus Camp" のような有様が結構な比率で存在するとしたら、クリスチャンが多数派だからと安心してもいられない。キリスト教国である、クリスチャンが多数派であるというのも大切だけれど、その場合その「質」は更に重要だ。たとえば仮に大多数が新興宗教的、カルト的団体だとしたら、そのキリスト教国は非常に危険な状態だろう。

 そう考えると、クリスチャン人口1%未満であっても、まだまだ希望はあるような気がする。少数でも質の高いクリスチャンがちゃんと存在していて、周囲とも良い形で折り合いをつけているなら、クリスチャンが殊更悪く言われることもないだろう。むしろ良い印象を持たれて、「クリスチャンもいいもんだ」と思ってもらえるかもしれない(実はそれが一番の伝道方法ではないかと思う)。
 ただ問題は、少数かつ低質である場合だ。数が少ない上に質が悪く、いろいろ非難されているとしたら、それは救いようのない絶滅危惧種みたいなものだ(必ずしも今の日本がそうだと言っているのではない)。

追記)
 クリスチャンの質の高さとは何か、というのも一つの議論になるだろう。私が確信しているのは、どれだけ聖書に通じているかより、どれだけ人格的に成熟しているかの方がはるかに重要である、ということだ。

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