映画「ノア 約束の舟」に過剰反応するクリスチャンについて

2014年6月19日木曜日

映画評

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 ハリウッド映画「ノア 約束の舟」が日本でも公開され、一部で論議(?)になっているようだ。一部というのはキリスト教界の一部だ。
 私は未見なので内容に関してイロイロ言えないけれど、いくつかの予告篇と映画情報誌を見ただけで、何が問題なのか大体わかった気がした。
 
 本作に批判的なのは、一部のクリスチャンや教会だ。「聖書に反している」「反キリスト的だ」「未信者に誤解を与える」というのが彼らの主張だ。
 未見なのでその主張の正当性について判断できない。けれど、その批判は根本的なところで筋違いではないかと私は思っている。なぜなら本作は、設定の段階で聖書をかなり脚色し、改変を加えているからだ。以下、前情報でわかる範囲の改変部分を記す。
 
・ノアの3人の息子たちが独身になっている。
・ノアに養女がいることになっている。
・次男がノアを裏切ろうとする。
・洪水の最中の方舟に侵入者がいる。
 
 これだけ見ただけでも、ハナから聖書とは違うことがわかる。つまり作り手は、聖書に忠実な宗教映画を作ろうとしたのではない。それに監督は「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキーである。屈折した人間描写で有名な人(誉め言葉)だ。そういう人に真面目な宗教映画・聖書映画を期待するのは、お笑い芸人に笑いを取るなと言うのと同じくらい筋違いだ。

 つまりそもそも聖書通りでない映画なのだから、監督なりの「方舟」解釈というか、可能性の拡大というか、そういうのを純粋に楽しむのが正しい見方だと私は思う。
 なのに聖書と違うという点だけ挙げて、反キリストだとか悪魔的だとか言うのは、融通の効かない頭でっかちに思えてならない。それに「未信者に誤解を与える」と本気で心配しているなら、自ら誤解を解くべく伝道したらいいだろう。端から見ていて口だけ出すのは「パリサイ人」だと聖書は言っているのだから。
 
 映画は、興味のある人が自分なりの見方で楽しむものだ。そして「これは面白い」「これはつまらない」という評価を出しあって、そういうことを共有できる人どうしでああだこうだと話すのが楽しいのだ。
 なのに訳のわからない言いがかりをつけて、「この映画は悪魔のものだから見ない方がいい」とか言うのは、花火をしようとしている子供たちに「危ないから」と水をぶっかけるようなものだ。
 
 もちろん、どう映画を判断するかは個人の自由なので、自分の中でいくらでも批判してダメ出ししたらいい。とはいえ、洪水後ノアが息子たちにヘビの皮でできた物をあげるシーンがあると聞いているけれど、それを「悪魔の儀式だ」とか言う人がいて、閉口してしまった。
 そこまで悪魔を意識して普段から生活しているのかどうか知らないけれど、ずいぶん窮屈な考え方だと思う。他人事ながら気の毒である。
 
 上記のようなクリスチャンの過剰反応が気になったので今回の記事を書いたけれど、私はべつに本作を推している訳ではない。ここまで書いたからには見なきゃいけない気がするけれど、そういう動機でもなければ見に行かないかな、と個人的には思っている。

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