一昔前、日本のプロテスタント界隈で、「笑いの霊」というのが流行った。
祈りや賛美といった礼拝行為の最中に、大勢で笑い出して止まらなくなる、という現象だ。何かの集会でその現場を見たことがある。年輩の牧師たちが腹を抱えてゲラゲラ笑いながら、「これが主の喜びってヤツだよ~」「天国は幼子たちのものってのはこのことだよ~」などと興奮しながら言っていたのを覚えている。笑い過ぎて顔が真っ赤で、それでも止められない様子だった。居酒屋で大騒ぎする中高年とあまり変わらない雰囲気だったような気がする。
「笑いの霊」の話の出所がどこの誰だったか覚えていないけれど、「聖霊の満たしの一つの現れ」とか「聖霊に酔った状態の一つ」とかいう説明だったと思う。その霊に満たされると、主にある喜びで笑い出さずにいられなくなり、いわゆる「天国の宴会」を体験する、という。あそこまで笑い続けたら、苦しくて逆に地獄ではないかと私などは思うのだけれど。
かくいう私は、その現場にいても『笑いの霊』に満たされることはなかった。
その現象を冷静に思い出してみると、必ずしもそこにいる全員が笑うという訳ではなかった。また、笑う人たちも全員同時という訳ではなかった。一人二人が笑い出し、それに釣られる形で、笑いが広がっていく感じだった。
それは、大笑いしていた年輩の牧師らに言わせると「信仰の違い」「純粋さの違い」「心をどれだけオープンにできるかの違い」とかいう話なのかもしれない。
けれど同時に言えるのは、いわゆる集団妄想、集団ヒステリー(パニック)、感情伝搬という類の群集心理でしかないかもしれない、ということだ。
「信仰」を持ち出せば科学的根拠などどうでもいい、という話にはならないだろう。むしろ聖書の事象が科学的に証明されることに、昨今は注目が集まっているはずだ。
もう一つ、その「笑いの霊」の問題点は、それが一時的なブームでしかなかったということだ。現在、礼拝中にバカ笑いが始まって止まらないなんて話は聞かない。当時大笑いしていた人たちが、今に至るまで礼拝の度に大笑いしている、なんてこともない。それが本当に「聖霊の満たしの一つ」であり「天国の再現」であるなら、今でも喜んで笑っているはずだろうに、「笑いの霊」はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。
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