チャーチスクールは「経営」するものではない

2013年4月6日土曜日

教育

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 昨日に続いてチャーチスクールの、今日は経営について書きたい。

 チャーチスクールの収益は、基本的に生徒からの納付金(授業料や施設利用料など)のみである。別途、寄付金や献金などもあるが、昨日書いたように、これらがメインであってはいけない。

 各種公立学校、私立学校との違いは、国からの補助金が一切受けられないという点にある。無認可なのだから、当然と言えば当然である。私塾や予備校と同じだ。

 私立学校の収入の内訳は、国からの補助金が3割、生徒からの納付金が6割、同窓会等からの寄付金が1割程度となっている。それで生徒が数百人いて、ようやく経営が成り立つ。が、少子化の進行で、経営はますます困難になっていくと言われている。

 チャーチスクールはもっと深刻である。国からの補助金はなく、生徒は多くてせいぜい50〜60人程度。その分授業料を高くできるかと言うと、できない。なぜならチャーチスクールに子どもを入れたいのはクリスチャン家庭で、彼らは自分の教会の礼拝で献金しているし、場合によっては(聖書の解釈に従って)全収入の十分の一を、礼拝とは別に献金しているからだ。
 中流以上の家庭であっても、教育費にかけられる額は、どうしても制限されてしまう。
 それに、中流以上の家庭というのは、教会では珍しい存在だと思う。教育費をほとんど払えない家庭の方が多いというのが、私の経験だ。

 以上のことから、チャーチスクールは構造的に経営難なのである。
 成立させるためには、何かを削るしかない。そして現実的に削りうるのは、人件費しかない。
 つまり基本的に教師は、無給か、有給でも薄給になる。
 が、それも生徒が50人60人いればの話だ。多くのスクールはそこまで集められない。ほとんどの教師が無給状態にならざるを得ない。
 

 私は、そもそもチャーチスクールは「経営」するものではないと思っている。

 チャーチスクールとは、文字通り「教会の学校」だ。だから教会がスクールを支えるというのが、最も健全な形だと私は信じている。
 多くの教会は、日曜以外は礼拝堂を使わない。だから平日はそこをスクールとして使えるだろうし、平日動ける牧師や信徒たち(多くは主婦であろう)が、教師として働ける。
 そうすれば、スクールの運営にはほとんどお金がかからない。生徒の人数にも左右されにくい(むしろ生徒は少ない方がいい)。教師として働く信徒たちにも、少なからず給料を払うこともできるだろう。

 私は、これがチャーチスクールの本来あるべき姿だと思っている。

 が、現在、一部のチャーチスクールに「学校化」を目指す動きがある。教会と切り離して、独立した経営を成り立たせようというのだ。
 その動機には、「素人が経営するチャーチスクールになんて行かせられない」という内外からの批判に応えてのものがあるのかもしれない(それはそれで一理ある)。
 が、そのためにチャーチスクールとしての在り方まで変えようとするのは、浅はかというものだ。

 いずれにせよチャーチスクールの独立というのは、上記の通り、構造的に不可能に近い。
 それに学校化を目指すなら、初めから私立のミッションスクールを作れば良かったはずだ。

 スクールをどうするか、という議論の前に、「自分たちはいったい何がしたいのか」を明確にすべきだと思う。

※この記事を読むと、私がチャーチスクールについて肯定的に書いているように思われるかもしれないが、私は現在、チャーチスクールを否定的に考えている。それについては次回に書きたい。
 

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