教会の子たちに突っ込んだ性教育は必要ない?

2021年11月9日火曜日

教会生活あれこれ

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 教会のチャーチスクール(日曜学校ではない)にかかわっていた頃、看護師ということで保健の授業を担当し、突っ込んだ(でも絶対必要な)性教育をしようと思ってあれこれ準備した。けれど企画段階で牧師夫妻に突っぱねられた。「純潔な」彼らにはそこまで必要ない、と。そういうとこだぞ、と溜息が出た。

 教会の中心的なユースたちは「純潔の誓い」という宣誓を教会の皆の前でしていた。婚前交渉も結婚を前提としない交際もしない、という誓いだ。それ自体にどうこう言うつもりはない。けれど「そういうこと(婚前交渉等)はしないから何も教えなくていい」とか、「逆に教えることで関心を持ってしまうから一切触れない方がいい」とかいう考え方は危ないと思った。それは子どもたちを守るどころか、無防備にすることだから。


 また「純潔」を守れる前提であれもこれも禁止するが、その理由が「神様が悲しまれるから」とか「祝福でないから」とかなのも弱い。フワッとしすぎている。もっと具体的な理由、例えば女性側が圧倒的に不利なこと、心身ともに傷つくこと、アフターピルで防げる事態もあることなどを教えないと、性の危険な面を実感できないだろう。あるいはそこまで生々しい話は、クリスチャンには「そぐわない」のだろうか(冒頭の牧師夫妻はきっとそう考えていたのだろう)。


 そして守れなかった時のことを教えないのも良くない。人はみんな、色々な事情があって生きているのだから。「守れなかった」のが本人ばかりのせいでないこともある。そういうケースを無視して、「きよく正しく」生きられる(ように見える)子たちしか相手にしないなら、それは教会のキャパシティの狭さ、不寛容さを表している。

 そういう教会には、自我を殺された従順なロボットみたいな子しか残らないのではないだろうか。


 小学校高学年か中学生あたりから、子どもたちは性のことで真剣に悩み始める。しかし真っ当な性教育にアクセスするのは困難だ。誰も教えてくれないから。そして自由にインターネットを使った結果どこに行き着くかは、今さら言うまでもない。


 その点で教会にチャンスがあると私は考えている。というのは実の親が子どもに突っ込んだ性教育をするのはなかなか難しいからだ。実の親から言われたくない、と思う子も少なくないと聞く。であれば第三者である教会が、その機会を提供すれば良いのではないか。教会の人間がかかわるのであれば親も安心できるだろう(公教育を信用していないクリスチャン親も教派によっては少なくない)。


 そして教会で行う性教育は、できるだけ聖書や信仰から切り離した、あくまで子どもたちの現実生活に即した、役立つ内容であるべきだ。聖書や信仰を絡めると、どうしても「祈れば誘惑から守られるから」みたいな精神論に繋がりやすくなるからだ。性のことに限らず、現実に目の前にある悩みや苦しみを、聖書っぽいファンタジーで解決しなさい、と言われるのは辛いと思う。

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