病院で働きはじめて間もない頃、先輩からこう教えられました。
「女医って呼び方は差別なんだよ」
テレビドラマやら何やらで「女医」という言葉が日常的になっていた私には、いささか驚きでした。「女医」は「女医」だろうと。でも先輩の話を聞くうちに(すんなりとではありませんでしたが)理解しました。
要するに、その医師が「女性」であること伝える必要がそもそもないんだ、ということです。「男医」という言葉はないでしょう。パソコンで「じょい」と打つと「女医」がすぐ出てきますが、「だんい」と打っても「男医」は出てきません。わざわざ「男」と「医」を、べつべつに打たなければならない。それだけ「医師」=「男性」というのが常識になっていて、女性の医師は珍しい、ということです。
では私の職業である看護師はどうでしょう。「看護師」と言うと、一般に女性を連想するのではないでしょうか。私自身、時々「男性看護師」と言われることがあります。
べつに嫌な気持ちはしません。でも「女性看護師」とは言いませんから、これはこれで逆差別なのではないかな、と思います。
では教会の「牧師」という職業はどうでしょう。やはり男性をイメージするのではないでしょうか。「女牧師」とか「女性牧師」とかいう言葉は時々聞きますが、「男性牧師」というのはありません。
もちろん、これらは職業的に偏りやすい性差であって、そのものは差別ではありません。ただ呼び方には注意が必要だ、というわけです。
ちなみに性差のある職業をいくつか挙げてみましょう(私観です)。
医師=男性
看護師=女性
牧師=男性
保育士=女性
整備士=男性
エステティシャン=女性
これらを逆の性別で呼ぶとき、たとえば「男性保育士」とか「女性整備士」とかですが、そういうのは差別に該当すると思います。男性が保育士になったっていいし、女性が整備士になったっていいのです。
☆ ☆ ☆
さてここからキリスト教の話です。
私は時々思います。女性の牧師がもっと増えたら良いのではないかな、と。
だって、男性の牧師が多すぎませんか。もっと女性の牧師が増えてくれたら、教会もキリスト教界も変わっていくのではないでしょうか。
看護師として医療現場にいてつくづく感じるのは、女性が本来的に持ち合わせている「優しさ」や「寛容さ」、「気遣い」や「やわらかさ」などです。男性のそれとは根本的に違うように感じます。たとえば困っている患者さんに接する態度など、私がそもそも持ち合わせていないものを、彼女らは自然に行うことができます。いつも学ばされますね。あまり使いたくない言葉ですが、「母性本能」と関係あるかもしれません。
「それこそ差別だろう」と言われるかもしれません。男性が牧師をやって何が悪いんだ、と。
でもべつに男性の牧師が悪いという話ではありません。女性の牧師が増えたらこうなるんじゃないかな、という話です。
また全ての女性がとびきり優しいのでなく、全ての男性がとびきり鈍感なのでもありません。性別に関係なく、いろいろな人がいるでしょう。ですからあくまで「傾向」の話です。「女性はこういう人が多い」という、あくまで私観ですね。
さて女性が大勢、牧会の場に立てば、教会は変わると思います。
まず間違いなく、女性は相談しやすくなるでしょう。男性だって相談しやすくなるかもしれません。「男性ならでは」の相談はしにくいかもしれませんが、「牧師に相談する」という行為そのもののハードルが、下がると思います。
また男性は「解決型」、女性は「受容型」とよく言います。男性は解決に急ぎ、女性はとりあえず受け入れて共感してくれる、という意味ですね。
牧会の現場の多くで必要なのは、実は後者だと私は考えています。「これをこうすればいいんです」みたいな答えでなく、「それは大変ですね」という言葉だと。
その点でも女性の牧師の方が有利だと思います。
もちろんすぐに解決しなければならない種類の問題だってありますよ。でもどれだけの男性の牧師が、「それは大変ですね」という受容の姿勢を見せてくれるでしょうか。解決策の提示より前に。
あと牧師の不祥事の原因としてよく挙げられる「金、女、権力」ですが、これらはおもに男性が陥るものです。もちろん金に目が眩む女性だっているでしょう。けれど傾向として、男性の方が弱い気がします。
もちろん女性の牧師が増えれば、今まで頻発していた問題が減る代わりに、今まで考えられなかったような問題が新たに生まれるかもしれません。
でも「男性一強」の牧師の世界が、男女半々くらいになってくれたら、それはそれで面白いのではないかな、と私は思うわけです。
さて皆さんはどう考えるでしょうか。
第2バチカン公会議の際に、進歩派枢機卿グループが神父の結婚、女性神父を認めよと主張しました。伝え聞くところでは、かなりの賛成を得たそうですね。もう少しで実現したともいわれています。保守派グループはトレントミサ(ミサはすべてラテン語で旧ラテン形式ミサ)でと主張し、女性神父などはもってのほか、神父の結婚はありえないと主張しました。
返信削除痛み分けで、現在にいたっているようです。フランシスコ教皇は、女性神父実現のため、資料収集を行っているのは周知の事実ですね。
第3次バチカン公会議が開催されるならば、女性神父は実現するでしょうね。
カトリックもプロテスタントも、あるいは他の教派や宗教もそうでしょうが、保守派と進歩派のせめぎ合いみたいなものがあるのですね。ぜひ女性神父が実現してほしいものです。
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