クリスチャンの皆さん、「預言」を受けたことがありますか?
私は沢山あります。いろいろな「預言」をされてきました。沢山ありすぎて覚えきれないくらいです。忘れたものも多分沢山あります。「預言をないがしろにするな!」とか怒られそうですが(笑)。
もっともその台詞は、私に「預言」をしてきた人たちにそっくりそのままお返ししたいんですけれどね。
それはいいとして、私に語られてきた預言の中で「具体的なもの」だけを集めますと、だいたい次のようになります。
・あなたは日本に遣わされている(日本国内で働くという意味なら、大半の日本人はそうですね!)。
・あなたは時代を読むようになる(情報最前線にいる?)。
・あなたは高齢者のために働くようになる(働いてませんし予定もありません)。
・あなたは「愛の弟子」と呼ばれる(呼ばれたことありません)。
沢山語られてきましたが、具体的なのはこれくらいです。皆さんはいかがでしょうか。良ければ教えて下さい。
あるいは個人に対してでなく、教会全体に対して語られたこともあります。
たとえばこんな感じ。
・この教会は天国のような賛美と礼拝を捧げる教会です(その教会もう存在しませんが)。
・この教会は日本のリバイバルの中心になります(だからもう存在しませんが)。
・この教会は教育の分野で日本にインパクトを与えていきます(もうないってば)。
当時は真面目に聞いて感動してましたね。今思い出すと笑っちゃうんですが。
教育の分野でインパクトを与える? 教会で教育事業をやっていましたから、そんなの見ればわかるんですけどね(インパクトを与えていた、という意味ではありません)。
他にこんなのもありました。
「この会衆の中に、(将来的に)顔面の左側にトラブルを抱える人がいます」
追跡調査ができませんから、その真偽はわかりません。でも「預言」と言うより「呪い」みたいな言葉ですね。だって、言われた方の立場になってみて下さい。「トラブルを抱える人がこの中にいる」と言うのですから、いったい誰なんだ? という雰囲気になるじゃないですか。
そして断言してもいいですが、その時、ほとんどの人がこう思ったはずです。
「自分じゃなければいいんだけど(自分以外の誰かであってほしい)」
つまり、「呪い」のなすり合いです。
「預言」とは、教会に疑心暗鬼を起こさせるものなのでしょうか。だとしたら神様ってサディストなんですね!(←反語表現)。
それはともかく、こういった「預言」に人生を左右されてしまう人たちがいます。
ある人は「預言」によって職種まで指定されました。それになるために頑張り、犠牲を払いました。しかし、結果的にその職には就けませんでした。努力や忍耐が足りなかったから? じゃあ見本を見せて下さい。
ある子は進学すべき学校を指定されました。でも本人にとって不本意な学校でしたから、真剣に悩む姿が可哀想でしたね。結局そこには進学しませんでしたが。
それって神様に逆らったことになるんですか?
私の場合、前述の通り「高齢者のために働くようになる」と語られましたが、当の私は乗り気でありませんでした。それでも教会の都合で(と言うより牧師の都合で)高齢者関係の仕事をさせられそうになりました。が、いろいろあって結局頓挫しました(私に関して言えば、語られた「預言」は1つも成就してません!)。
私が知る限りの話で申し訳ありませんが、昨今の「預言」はとにかく具体性がありません。「祝福される」「解放される」「新しい段階に入る」など抽象的な表現ばかりです。いついつまでに、という期日もありません。だから延々と待たされますし、それが起こったかどうかも確かめようがありません。
そういうのが「預言」なんでしょうか?
あるいは具体的な内容であっても、前述の通り実現しなかったり、人間側の選択次第だったりします(その通りにするかどうかはその人次第で変わる、という意味です)。
「預言」って、「必ずこの通りになる」というものなのではありませんか?
もし言った通りのことが起こらなかった場合、聖書中の表現で何と言われるか、ご存知でしょうか。
「偽預言」と言われます。
旧約の時代であれば、偽預言者は殺されたって文句が言えません。では現代の偽預言者たちはどうでしょう。そんなことお構いなしに「偽預言」を語り続けていませんか。
それでいいのでしょうか?
どうやら現在のキリスト教界は、それでいいようです。チャンチャン。