A.I.の可能性
2017年は、A.I.(人工知能)がだいぶ注目された1年でした。
グーグルのA.I.碁がプロ棋士に勝ったり、自動車の自動運転が実現したり、家庭用A.I.スピーカーが登場したりしました。それ以外にもいろいろな分野で動きがあったでしょう。A.I.は私たちの生活に確実に浸透しつつあります。
そして意外なことに、キリスト教界にも同様の動きがありました。
「5言語で祝福祈る“ロボット牧師”ドイツの教会が宗教改革500年で制作」
まあこれは、ロボットが手を挙げて祝福を語るだけです。厳密には「ロボット牧師」でなく、「祝福ロボット」でしょう。一般の観光客には受けたようですが、ドイツのクリスチャンには不評だったようです。たぶん日本でも同様の結果になると思います。
なぜ不評かと言うと、ロボットだからです。それはそうでしょう。一般的に考えて、自分の教会の牧師がロボットに替わったら嬉しくないと思います。祝福するだけならともかく、牧会的なケアとか、カウンセリングとか、伝道とか、そういうのはロボットなんかに任せられない、と思うのではないでしょうか。当然のこととして。
でも私は、この「ロボット牧師」にすごい可能性を感じました。
たぶん多くのクリスチャンの方は、「ロボット牧師」と聞いて、ほとんど瞬間的に嫌悪感を抱くでしょう。そんなのあり得ない、と思うでしょう。でも、それはほとんど、条件反射的な反応だと思います。あるいはほとんど考えることなく、パッと出した結論だと思います。「牧師は人間がするものだ」という既成概念が確固として存在しているから、ほとんど考えるまでもないのです。そうではないでしょうか。
でも、そこをちょっと考えてみたらどうかな、と私は思います。
A.I.の進化は今更止まりません。その良し悪しに関わらず、今後もどんどん発展し、どんどん日常生活に入ってきます。私たちは今後さらにA.I.を利用することになります。
でもそれは、悪いことではありません。
たとえば自動車の自動運転なんかは、ちょっと前までSF映画だけの話でしたが、今は現実です。そして確実に交通事故の減少に貢献していくでしょう。なぜなら人間は居眠りしたり、操作ミスしたり、判断ミスしたりしますが、機械にはそういうことがないからです。多くの人々が悲惨な(でも防げたはずの)交通事故の犠牲になってきたことを思えば、これはまさに「福音」みたいなものではないでしょうか。
牧師職をサポートするA.I.
ではいきなり「ロボット牧師」に飛躍するのでなく、まず「A.I.がどのように牧師をサポートできるか」という点で考えてみましょう。
たとえばA.I.に、聖書、関連書籍、各教派の神学体系、キリスト教史、過去の牧師たちの説教、その他諸々の膨大な情報を全て入力し、分析させてみます(1人の人間ではとても処理できない量でしょう)。すると、たとえば牧師が「贖罪」について説教しようと思ったら、それに関する聖書箇所や文献、解釈、考え方、事例など、引用すべきあらゆるものをA.I.が引っ張ってきてくれます。しかも瞬時にです。すると説教を作る時間が、大幅に短縮されます。しかもより深く、より正確な、より多彩な内容になるでしょう。
また、信徒相手のカウンセリングにもA.I.を活用できます。カウンセリングに必要な学問や療法、過去の事例や効果などをA.I.に学習させれば、ケースに応じて最適なアプローチ方法、方向性、今後の見通しを立てることができます。牧師が悩み過ぎたり、燃え尽きたりするのを防げるかもしれません。
伝道についても、アプローチ方法や過去の事例、統計データなどから、A.I.が何か斬新な方法を考えてくれるかもしれません(皆さん知りたくありませんか)。
膨大な量の情報を高速で、しかもミスなく処理し、論理的に分析するのは、コンピューターの最大の特徴です。それを利用しない手はないと、私は思います。
牧師職をこなすA.I.
では、「ロボット牧師」というか「A.I.牧師」について考えてみましょう。A.I.が牧師をサポートするのでなく、A.I.が牧師になるのです。
たぶんクリスチャンの皆さんはここで拒絶すると思いますけれど。
初めに書いておきますが、私は「A.I.牧師」が人間の牧師に完全に成り替われるとは思っていません。やはり最後は人間対人間になると思うからです。
しかしA.I.の利点も大きく、無視できないと思うわけです。以下にその利点を挙げてみましょう。
まず、A.I.牧師には人間の心はないでしょうけれど、だからこそ、決して信徒を偏り見ません。信徒によって対応を変えることもありません。調子が悪くて受け答えが雑になることもありません。
次に、相談するために長い順番を待つ必要がありません。端末があればいつでもどこでも相談できます。そして相談すれば、いろいろな可能性の中から最適解を見つけてくれます。もちろん第2、第3の選択肢も用意してくれるでしょう。
説教においては、前述のように豊富な情報量の中から語ってくれます。「つかみ」と称する冗談を10分も20分も続けたり、あえて感動させようとしたり、時間を無視していつまでも語り続けたり、ということもありません。
信徒との相性もほとんど問題にならないでしょう。むしろ相手がA.I.だからこそ安心できる、という信徒もいると思います。たとえば話しづらいことを話す場合、人間の牧師だと躊躇してしまうこともありますから。
その他、伝道にしてもイベントにしても、今までにない発想が生まれるかもしれません。A.I.碁が人間のプロ棋士に勝てたのは、今まで誰も思いつかなかった戦い方を考え出したからです。
と、いうようなことを考えてみると、A.I.牧師はほとんどの牧師業務を遂行できるどころか、より良くしていける可能性を秘めていることがわかります。人々の嫌悪感が、それを受け入れないのでしょうけれど。
もちろん、A.I.牧師を適切に管理する人間なり、システムなりも必要です。そのへんはまた、別の話になるでしょうね。
A.I.牧師なんて要らない?
たぶん私がA.I.牧師に魅力を感じるのは、変な牧師を少なからず見てきたからだと思います。人を騙す牧師、虐げる牧師、利用する牧師よりは、心を持たないA.I.牧師の方が断然安心できるし、信用できる、と私は思ったのですね。
A.I.牧師に初めから反対する人たちには、そのへんの事情を考えてほしいと思います。
もちろん牧師も人間ですから、完璧ということはありません。いろいろ問題もあるでしょう。でもここで私が言っているのは、そういうちょっとした欠点とか、若干おかしなクセとかでなく、人を傷つけても何とも思わない、むしろ平気で人を踏みつける牧師たちのことです。彼らがそれぞれどういう経緯で牧師になったか知りませんが、なるべきでありませんでした。
人の心を持たないロボット牧師など要りません、と言うのなら、私も同じように言います。
人の心を持たない悪徳牧師など要りません、と。
さて、良ければ皆さんもA.I.牧師について考えてみて下さい。これからは、そういう時代になると思いますから。