今月中旬まで、個人的にすごく忙しい。大事な試験があって、勉強しなければならないからだ。連日何時間も勉強している。全然自慢でも何でもないんだけど、学生時代から比べて今の方が相当勉強している。興味のある分野だからできる、というのもあると思う。
という訳で今月はブログを書いている暇があまりないのだけれど、じゃあなんでこれを書いているのかと言うと、さすがに気分転換が必要だからだ。毎日暗記ばかりで、脳ミソが疲れてしまった。それに2013年3月に「キリスト教に対する問題提起をブログで書いていこう」と決めて、以来ずっとやってきたから、継続するのが義務だとも思っている。
でも今はそんな難しいことも書けないので、ちょっと気になっていたことを乱文的にツラツラと書いてみる。ダラダラと付き合っていただけたら幸いである。
・プロの仕事に素人は口を出してはいけないのか
最近SNSを眺めていてちょっと気になる話題があった。映画ネタ。洋画の日本版ポスターが、あまりにも内容から乖離しているケースがある、という話。
たとえばこれ。
実話を基にした映画『マシンガン・プリーチャー』の宣伝チラシとレンタルDVD版ジャケットの極端な差異は、「同じ宣伝内容でも伝え方によって相手に与える印象は変わる」の見事な実例ではなかろうか。これ、いまだに笑ってしまう。 pic.twitter.com/0WQypQFxdB— punchlow (@punchlow) 2017年2月5日
映画『マシンガン・プリーチャー』は、元ヤク中のアメリカ人が内戦下のスーダンで子供たちの為に戦う、いわゆる感動モノである。本国版のポスターもそういう造形になっている。でも日本版ポスターはご覧の通り、マイケル・ベイ監督かよって感じの、しかもB級感あふれるドンパチモノになってしまっている。これはもう詐欺だろってレベルだと私は思う。
でもこういう話は時々ある。配給会社の思惑だと思うけれど、「日本で売れそうなカタチ」に、作為的に「変換」されてしまうのだ。で、そういうもんだと思って観に行った人は「騙された」ってなるし、その作品本来の魅力を知っている人は「こんなポスターみたいな映画じゃないのに」ってなる。なんとも困った事態である。
でも、そういう事態に対して批判的なコメントを出すと、こんな結果にもなってしまうようである。
私これまではそれほど配給や宣伝について批判してこなかったのに何か言うと途端に「見苦しい」とか「素人が口出ししても」と口封じが飛んでくるようになった。でも配給や宣伝に文句1つ言わず愛想よく身銭と時間を費やす人のみが映画ファンであるってその姿勢がますます見る人を減らすのでは。— パプリカ (@papurika_dreams) 2017年2月7日
つまり、「プロ」の方々が、「素人は黙ってろ」と言ってくるのである。配給側には配給側の事情があるんだ、そういう事情も知らないで素人が好き勝手なことを言うな、みたいな感じ。
でも、詐欺みたいな形で映画を配給しても、結果的に損するのは配給側なんじゃないの? と私は思うんだけどなあ。
・プロの責任
たしかにプロ(その道の専門家)でなければわからない背景や事情があると思う。素人には単純に見えることが、実は複雑に絡み合った事情のうえに成り立っている、みたいなこともあるだろう。そこに素人が口を挟んでくると、プロからしたら「黙ってろ」みたいな気持ちになるのもわかる。
でもプロにはプロの責任があると思う。
たとえば私は看護師をしているけれど、患者さん(今は患者様と言わなければならないんだけど)に病状について説明するとき、「専門用語は使わない」というのが前提になっている。そして患者さんが話を理解できたか、どこが理解できてどこが理解できなかったか、見極めて補わなければならない。それがプロの責任である。
これは医療業界だけでなく、映画業界でもどこの業界でも同じだと思う。「素人は黙ってろ」でなく、その素人に理解できるように複雑な事情をシンプルにまとめるのが、プロの責務ではないだろうか。
それに上記の「映画の宣伝の仕方」の話に戻れば、内容をミスリードさせるような紹介の仕方は明らかに問題であろう。そのへんは素人に指摘される前に、「中の人」たちが声を上げていなければならないのではないか。素人に言われて「黙ってろ」なんて言ってる場合ではないと思う。
・素人だからできること
話を昨年4月の熊本地震に変える。被災地支援とうい話で、私が(クリスチャンとして)一貫して言い続けたのはこれだ。
「祈りましょうと言うほど心が動いているなら、実際に何か行動すべき」
これに対して多くの声をいただいて、批判的なものも多かった。でも批判する人はだいたい、最初の一歩で勘違いしている。前半の「祈りましょうと言うほど心が動いているなら」を見落としていて、「何か行動すべき」しか読んでいないのである。
私は「クリスチャンなら何か行動しろ」なんて言ってない。行動したくてもできない事情があると思う。無理にでも行動しろだなんて思わない。各人の自由でいいと思う。ただ、人前で「祈りましょう」と声を上げるなら、当然ながら実際にも何か行動するはずだよね? と言いたいだけだ。だってそれだけ「心が動いている」はずなのだから。
でもそういう人たちが実際に何をしたのか、全然見えてこない。私はそこを指摘しているだけなんだけど。
また、「被災地に素人が行っても邪魔なだけだ」「素人にできることなんてない」と言う人もいる。
私は当然ながら、「クリスチャンなら被災地に行って何かすべき」とも言っていない。
でも「素人にできることなんてない」と言う人は、たぶん現地の状況を知らないんだと思う。知らないのによく言えるなあ。
もちろん被災の激しい地域、危険な地域に行くのは良くない。でもそうでない地域にも沢山のニーズがあって、行政だけではとても賄えていなかった。実際のところ、公的な支援は地域によって相当格差があり、物資が届くところと、あまり届かないところとがあった。何日も放置された地域もあった。そこを多少なりとも補ったのが、民間のボランティアである(決して十分ではなかっと思うけれど)。そこでは素人の皆さんが重要な役割を担った。と言っても専門的な、難しいことをした訳ではない。近隣から食料品や日用品を集めて、現地に運んだだけだ(だけ、という簡単な話でもないけれど)。でもそれが被災された方々には、大きな助けになった。
私はそれを実際に見たので、「素人にできることなんてない」という意見には、この一言を返すだけだ。「なに言ってんの?」
素人にできることは沢山ある。
・まとめ
映画の紹介の仕方と熊本地震を例に書いたけれど、プロ/素人の問題で一つはっきり言えるのはこれだ。
プロにはプロの責任があり、素人には素人だからこそできることがある。ということ。
・オマケ(個人的な毒吐き)
熊本地震の話を出すと、何故か騒ぎ立てる人がいて、くまもんの焼酎がどうとか不思議なコメントしてくるんだけど、正直まったく意味がわからない。記事の趣旨をちゃんと理解できるように、がんばって読解力を付けてから出直してきてほしい。いや、こなくていいけど(笑)
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