クリスチャンの方、「クリスマスらしく」過ごせてますか?

2017年12月13日水曜日

キリスト教系時事

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「クリスマスらしさ」って?

 12月も半ばになりました。皆さんの教会のクリスマス・イベントはいかがでしょうか。早いところはすでに終わっているかもしれません。これから本番というところもあるでしょう。いずれにせよ、素敵なクリスマスになればと思います。

 ところでクリスマスを「クリスマスらしく」過ごすとは、どういうことでしょう。
 七面鳥とケーキとプレゼントでパーティをすることでしょうか。キリストの降誕を教会でお祝いすることでしょうか。ゴスペルコンサートを開くことでしょうか。クリスマス風にアレンジした伝道集会を開くことでしょうか。クリスマスキャロルを歌ったり、聖劇を披露したりすることでしょうか。

 たぶん教会によって、イロイロだと思います。どれが良いとか悪いとか、言うつもりはありません。「クリスマスらしさ」に唯一の正解などないと思いますから。中には「クリスマスの本当の意味は」とか「真のクリスマスとはこれだ」みたいなことを言う人もいますけれど。

 余談ですが、Christmasという言葉はChirst(キリスト)+mas(礼拝)で構成されており、すなわち「キリストを礼拝すること」みたいですね。そうすると、多くの教会は毎週キリストを礼拝していますから、年中クリスマスをやってることになりますが(皮肉ではありません)。

 ちなみに日光オリーブの里(旧関東祈祷院)に入って行く小道に「毎日がクリスマス」という看板が立っていましたが、まだあるのでしょうか。あ、ローカルネタですみません笑

クリスマスと聞いて嫌な気分になる現象

 私が教会で頑張っていた頃は、12月が最も忙しい月でした。クリスマスのイベントが目白押しだったのに加えて、それに続く年末年始のイベント、そして新年のイベントの準備もあったからです。

 イベントの内容は詳しく書きませんが、一つ終わるたびにホッとして、でもすぐ次の準備に取り掛かる、という繰り返しでした。ツリーとかリースとか蝋燭とか、キャロルとか馬小屋とか羊飼いたちとか、そういうクリスマス関連のものを扱うので、自然と「クリスマスらしさ」を感じます。でも気づくと、「イベントを無事に終わらせないと」「これをいついつまでに仕上げないと」などと考えています。「クリスマスらしい楽しさ」を演出しようとしている自分自身が、全然楽しくないわけです。クリスマスとはこういうものなのだろうか、という疑問が、なくはありませんでした。

 カルトっぽい教会で大変な目に遭った人は、もしかしたら「クリスマス」と聞いて嫌な気分になるかもしれません。私も少しそうです。
 でも「クリスマス」そのものが悪いのではありません。それはわかっています。そうでなく「クリスマスに嫌な思いをした」という記憶があり、それがクリスマスの度に思い出されて、嫌な気分になるのですね。

 以前紹介した体験談に、クリスマス恒例のミュージカルの練習が大変だった、というお話がありました。何ヶ月も前から準備して、泊まり込みで練習して、全部手作りして、チケットも手売りして、という。そういうのを楽しめる人もいると思います。でもそうでない人には苦行でしかありません。そういう人は「クリスマス」や「ミュージカル」が嫌いになってしまうかもしれません。

 だから教会のクリスマス・イベントに友達を誘おうと考えている人は、クリスマスに対して嫌な感情を持っている人もいる、ということは知っておいた方がいいと思います。そういうのを見極めるのは難しい場合がありますが、知っていると知っていないとでは、ずいぶん違ってきます。

何のため(誰のため)のイベント?

 教会のクリスマス・イベントを考える上で大切なのは、何のためにするのか、誰のためにするのか、最初から明確にしておくことだと思います。できれば教会のみんな、少なくともイベントに関わるメンバーで、ちゃんと話し合っておいた方がいいでしょう。

 よくある例として、毎年クリスマスに伝道集会を開き、未信者をたくさん集めよう、というのがあります。「クリスマスっぽさ」を最大限利用して、伝道しようというわけです。それが悪いとは言いません。

 でも多くの教会は、何となく「クリスマスを伝道の機会にしよう」と言い、いつもと同じようなことを企画して、未信者が来ても来なくても「恵まれたね」と言って、終わっている気がします。そしてそれを毎年繰り返しています。目的がよくわからず、振り返ることもせず、傍から見たら内輪で盛り上がっているだけ、みたいな。

 ぶっちゃけた話、それはそれで悪いとは思いません。ゆるいイベントをゆるくやって、みんなでゆるく過ごすなら、それはそれで良いと思います、私は。

 でも信徒にあれこれ奉仕させ、忙しい思いをさせ、大変な思いをさせておいて、結果的に何の意味があったのかよくわからない、というイベントなら問題です。コストパフォーマンスも悪すぎます。未信者のためにと言いながら、その未信者が全然来なかったとしたら、何のための労力だかわかりません。メチャクチャ頑張ったのなら、なおのこと。

 つまり、ゆるいイベントをゆるくやって内輪で楽しむならいいですが、大きな目標を掲げて信徒をコキ使うなら、その結果やコスパについてもちゃんと考えなければダメじゃないですか、ということです。

 だから教会のクリスマス・イベント(伝道集会に限りません)は、その目的が何か、結果がどうだったのか、かけた労力は適正だったのか、といったことを皆でちゃんと共有すべきだと私は思います。信徒に奉仕を強いる教会なら特に、です。

クリスマスと平和

 前述の通り、「クリスマスらしさ」は教会によってイロイロだと思います。これでなければいけない、というのはありません。でも私が皆さんにぜひお願いしたいのは、平和なクリスマスを過ごしてほしい、ということです。もし忙しすぎて嫌になっていたり、楽しくなかったり、モヤモヤしていたりするなら、何かがおかしいと考えるべきです。見直すべき何かがあると、考えるべきです。

 もちろん、忙しい方が好きだ、大変な方が楽しい、という人はそれでいいです。それを嫌がる人を巻き込んでさえいなければ。
 私が考える「クリスマスらしさ」の唯一の条件は、「平和に過ごせること」です。「平和」というのは「穏やか」と言ってもいいでしょうし、「楽しい」と言ってもいいでしょう。とにかく、そういうことです。

 イザヤ書9章6節はこう言っています。
「ひとりのみどりごが我々のために生まれた」
 みどりごは平和のシンボルです。それが「私たちのために生まれた」と言っているのですね。
 ぜひこのクリスマス、皆さんの心に、平和がありますように。

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