上に立つ人の「資質」の問題

2017年7月5日水曜日

クリスチャンのパーソナリティの問題

t f B! P L
・リーダーの資質

先日の都議選の、街宣における安倍首相の発言が、物議を醸しているようですが。


ジャーナリストの江川紹子さんの上記の記事が、なかなか本質を捉えているのではないかと思いました。べつに当ブログで政治的見解を述べるつもりはありませんが。

ただ記事を読んで「なるほど」と思ったのが、オバマ元米大統領の「みんなの大統領になる」という発言を引用し、では安倍さんはいったい「誰のための」首相なのか、と言及している点です。
なんか日本国民には、「私たち」と「こんな人たち」という区別があるみたいですね。

一国のリーダーだけでなく、「リーダー」と呼ばれる存在には、たぶん同じような話がついて回ることでしょう。リーダーを批判する人間、攻撃する人間であっても、リーダーにとって守るべき存在に変わりはない、という話です。議論の場でいくら争ったからと言って、相手が恒常的な「敵」というわけではありません。もちろん「扱いづらい相手」だとは思いますが。

ともあれ、リーダーの「資質」は、人をどう扱うかにかかっていると言えるでしょう。特に自分に対して反抗的・批判的な人をどう扱うかに、如実に現れると思います。

・資質のないリーダーが組織を壊す

キリスト教界でも同じようなことが言われます。
プロテスタントの一部では、「牧師の資質」という話になります。「資質」と言ってもいろいろあると思いますが、中でも大切なのが「人格」とされています。
そのわりに、人格的にどうなんだという牧師が多いような気がしますが。

ある時、某キリスト教団体にいろいろトラブルがあって、組織もリーダーを一新しようという話になりました。それで新しい役員が何人か決まり、その中でリーダーを選ぶことになりました。

その時ふさわしいと思われたAさんが、リーダー候補でした。と言うかほぼ決まりでした。一応挙手をして、決を採りました。するとBさんだけが挙手しませんでした。彼はAさんをリーダーにしたくなかったのです。しかし多数決の原則に従い、結局Aさんがリーダーになりました(もちろんBさんはわかっていたのですが、あえて反対したのです)。

そうして団体は一新され、新しいスタートを切りました。はじめは特に問題なく見えました。しかしだんだんうまく行かなくなり、役員たちは何度も話し合うことになりました。するとリーダーのAさんは次第に、議論の中で、「Bさんは私を選ばなかった」という選出時の恨みを言うようになりました。それで役員の中で対立が起こり、Bさんは難しい立場に立たされました。

つまりAさんの中で、「自分を選んでくれた人たち=私たち」対「自分を選ばなかったヤツ=Bさん」という対立構図が形成されたわけです。上記の安倍さんと同じような感じです。

それから紆余曲折ありましたが、全部省いて、結局その団体はうまく行かなくなり、解散することになりました。結果論ですが、Bさんの判断が正しかったのかもしれません。反対者(Bさん)をうまく扱えなかったAさんには、リーダーの資質が欠けていたのかもしれません。

まあ過ぎた話なのですが。

・大らかなリーダーであってほしい

安倍さんの「こんな人たち」発言で、そんな昔話を思い出した次第です。

リーダーとなる人には、賛成も反対もうまく包み込むような、大らかさがあってほしいものだと思います。私個人はそう願ってやみません。なにも一国のリーダーだけの話でなく、いろいろなグループや集団に言えることですが。

あなたの教会のリーダーはどうでしょう。反対者をあっさり切り捨てるような人でしょうか。自分に意見する人を個人的に攻撃する人でしょうか。そうでないといいのですが。

職場でもそうですね。上司や先輩やリーダーが、不必要な対立構図を作る人だと、面倒臭いことになります。良い上司に恵まれているでしょうか。上司如何で働きやすさは全然変わりますね。

何にしても、上に立つ人たちが、それに従う人たちの運命に大きく影響するのは間違いありません。だから従う人たちにリーダーを決める(選挙のような)権限があるなら、慎重に選ばなければなりません。もっとも多数決という原理には、如何ともし難い部分がありますが。

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