『ワイルドスピード』シリーズと「霊の戦い」の意外な共通点

2017年5月10日水曜日

雑記

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・『ワイルドスピード』シリーズについて少し

映画『ワイルドスピード』シリーズは、「俺様」俳優ヴィン・ディーゼル主演のカーアクションものです。はじめはストリート・レースの話でしたが、回を追うごとに規模が大きくなり、今では世界を股にかけて犯罪組織と戦うアウトローたちの話になっています。ちなみに当初は故ポール・ウォーカーとW主演だったのですが、前作(ワイルドスピード7)の撮影中にポールさんが亡くなってしまったので、最新作である『ワイルドスピード8:アイスブレイク』からはヴィン様の単独主演となっています。

 その『ワイルドスピード8:アイスブレイク』を劇場鑑賞したのですが、まあ面白かったですね。ド派手なアクションにくわえて、ヴィン様と仲間たち(ファミリーと呼ぶ。マフィアかよw)との絆の熱さに泣かされます。ファミリー1人1人にちゃんと見せ場があり、故ポールさんの出番までちゃんとあって、グッときました。ストーリーはとんでもないご都合主義が満載ですが、そこは大作映画だからいいんです(きっぱり)。映画ファンはごちゃごちゃ言わずに楽しみます。ちなみに今回はレビューではありませんので、詳しい内容には触れません。

・「昨日の敵は今日の友」現象

 今回取り上げたいのは、そんな『ワイルドスピード』シリーズの定番となっている1つの現象についてです。その現象とは、「昨日の敵が今日の友になって、更なる強敵に立ち向かう」というものです。

 シリーズを振り返ってみると、この現象はいくつも見られます。はじめはヴィン様とポールさんが敵どうしでした。でも4作目をキッカケに、2人は共闘することになります。次に5作目に初登場するドウェイン・ジョンソンはFBI捜査官として執拗にヴィン様を追いますが、6作目では結局共闘関係になります。その6作目の悪役ルーク・エヴァンスは一旦退場しますが、7作目の悪役ジェイソン・ステイサム大将とともに、8作目でヴィン様を助けることになります。
 で、回を重ねるごとに悪役も強くなっていくわけです。8作目では、『マッドマックス』のフュリオサ将軍役が強烈だったシャーリーズ・セロン女史がラスボスとなっています(でも最後は逃亡したので、きっと何かの形で再登場すると思います)。

 という、これがいわゆる「昨日の敵は今日の友」現象です。『ドラゴンボール』なんかと同じですね。

・「どんどん敵が強くなる」現象

 この「昨日の敵は今日の友」現象は、どうしても「前作の敵が次回作で仲間になって、より強い敵に立ち向かう」という構図になります。だから敵をどんどん強くしなければならないわけです。前作のラスボスが初めから仲間になっているわけですから、当然と言えば当然ですが。

 ラスボスは毎回「こいつは史上最悪のワルだ」みたいな紹介をされるのですが、上には上がいる、ということですね。「最強の敵」が可愛く見えるくらい、次回作の敵は「もっと最強」なわけです。その次も、そのまた次も(もはや最強じゃないw)。

 でも、映画ならそれでも全然構わないです。脚本家たちがいろいろ考えて、より強い敵を作ればいいだけですから。
 でもふと考えてみると、実は同じような現象が、一部のキリスト教会でも起きているのでした。

・「霊の戦い」に見られる「際限のなさ」

 キリスト教プロテスタントの一部の教会では、「霊の戦い」と称する活動が行われています。
 どんなことかと言うと、目に見えない「霊の領域」みたいなものがあって、実は現実世界に強い影響を及ぼしている。だから人間は知らず知らずのうちに「霊」の影響を受けている。それが「神の霊」であればいいけれど、「悪い霊」だった場合、いろいろと不都合な状況になってしまう。だから「霊の戦い」なるものをして、「悪い霊」を「打ち破って」、影響を受けないようにしよう・・・
 みたいな考え方です。

 少し前に話題になった「神社仏閣油撒き事件」も、基本的には「霊の戦い」と同じような考え方です。

  でこの「霊の戦い」は「戦い」なので、当然ながら「相手」がいます。でも「霊の領域」の話だから、見えません。見えない相手に向かって「戦い」を繰り広げるわけです(だから「霊の戦い」と呼ぶわけですが)。

 その相手が誰かと言うと、まあ簡単に言うと「悪魔」「悪霊」なのですが、牧師とかの指導者が「これは◯◯の悪魔だ」みたいな形で紹介してくれます。だから信徒の皆さんは、口ぐちに「◯◯の悪魔よ! 退け!」とか叫んで「戦う」ことになります。

 ちなみに牧師がどこでどうやってその「◯◯の悪魔」の情報を仕入れてきたかは、まあ企業秘密ということにしておきましょう。気になる人はメールでも下さい。

 わかりにくいと思うので、実例を(ちょっと脚色して)紹介しましょう。

 たとえば「東京を悪魔から解放しなければならない」という話の時は、こんなストーリーが牧師の口から飛び出しました。
「実は江戸の初期、徳川家康と空海が、東京の何箇所かに結界を張った。それが今でも悪魔たちの足がかりになっている。だから私たちが霊の戦いでその結界を打ち破らないと、東京は解放されない」

 また「日本を解放しなければならない」という話の時は、こんなストーリー。
「日本を縛る5人の巨人がいる。この巨人たちを1人ずつ、順番に縛らなければならない。その順番も神によって示されなければならない」

 あるいは「東日本と西日本の『霊的分断』を癒し、和解をもたらさなければならない」という話もありました。こんなストーリー。
「関ヶ原の戦いによって、日本は霊的に、東西に分断されてしまった。だから今も、東と西で霊的な争いがある。私たちは十字架の血潮によって、この分断に和解をもたらさなければならない」

 他にも沢山紹介できますが、もう十分だと思います。どれも似たようなものなので。
 要は、Aを解放するために◯◯と戦い、次にBを解放するために××と戦い、次にCを解放するために△△と戦い・・・という感じで、延々と続くわけです。
 何かの敵を倒したと思ったら、「実はこの背後にはホニャララという敵が潜んでいる」みたいな話になって、また戦わなければなりません。その次も、そのまた次も。そして敵はだんだん大きく、だんだん深く、だんだん不気味に、だんだん巧妙になっていくわけです。
 あれ、『ワイルドスピード』シリーズや『ドラゴンボール』と同じだなあ、と思った皆さんは察しがいいですね。その通りです。

「霊の戦い」は延々と続くので、敵はどんどん強くならなければなりません。それが終わってしまったら困るからです。いったい誰が困るのか? それは察しのいい皆さんなら、もうおわかりかと思います。

 いずれにせよ『ワイルドスピード』のような面白いシリーズはいつまでも(面白いままで)続いてほしいのですが、まあこれ以上のスケールアップは難しいでしょうし、製作サイドもあと2作で終わるようなことを言っていますから、残念ながら終わる時がくるでしょうね。でも「霊の戦い」のような活動は、個人的意見として率直に言いますが、早いところ終わってほしいなあというところです。

※ちなみに「霊」に関することを何でもかんでも否定する意図はありません。

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