2017年2月14日火曜日

「正しさ」の押し売り vs 選択の自由

・波紋を呼んでいる「出家」のニュース

 若手女優の突然の引退が大きく報道されている。引退して宗教団体に「出家」するということが、さらに話題を大きくしている。メディアはここ数日、その話題で持ちきりである。

 詳しい事情は、本人や関係者にしかわからない。単純な話ではないと想像する。けれどここでイロイロ憶測しても意味がないからしない。
 ただ「出家する」ことに対して批判が上がっていて、「宗教なんてやめた方がいい」とか「騙されているだけだ」とかいう意見があるけれど、それはちょっとナンセンスではないかと私は思った。その時つぶやいたのがこちら。



・肯定すべきか否定すべきか

 ぶっちゃけ、私個人は当該の宗教団体はとっても怪しいと思っている。また本人の「出家」の意志がどのようなプロセスで行われたのか、それが正常な精神状態によるものだったのか、という点についてはちゃんと検証した方がいいように思っている。

 けれど真相がどうであれ、また不正なプロセスがあったかどうかに関わらず、本人が「こう」と決めて行動した、その選択と事実自体は肯定的に受け止めるべきだと思う。 でないと本人を余計に苦しめ、追い詰めてしまうかもしれないから。たとえ周囲の人間が全員その選択を「間違い」だと思っても、本人は「正しい」と思っているのだから。


 その意味で、「宗教なんてやめた方がいい」というのは本人にとって「トドメ」みたいなものであろう。おそらく沢山葛藤し、苦しみ、悩み、最終的に「こうしよう」と決めたことなのだろうから、それはそれで良しとしないと、少なくともその後の対話の可能性がなくなってしまう。信頼関係を築くチャンスも、失われてしまう。

 専門的に言うなら、「支持的に接する」ということ。

 しかしながら、「宗教なんてやめた方がいい」という意見そのものは、必ずしも間違いではないと思う。宗教に過剰にのめり込むことによって、かえってバランスを崩してしまうこともあるからだ(キリスト教もしかり)。その意味で、この意見には一考の余地がある。
 ただ、繰り返しになるけれど、本人の心情に配慮した意見とは言えない。

 要は、自分が考える「正しさ」とか、自分が信じる「正義」とかを相手に押し付けても、何にもならない、ということ。
 人はしばしば「感情」で動くからだ。必ずしも論理的でないことがある。自分の行動に矛盾があると気付いていても、どうにもならないことがある。そこを「正しさ」で責め立てても、相手を絶望させたり、あるいは無益な争いに走らせたりするだけではないだろうか。であるなら、その選択が「間違い」のように思えても、とりあえずの反応としては「肯定」が正解なんだと私は思う。

 ・周辺の事情を考慮しても

 この話を複雑にしている要因は他にもある。一つは、本人が「売れている女優」だということ。多くの人やお金が動く仕事を、途中で投げ出してしまった、という点で批判が上がっている。義理を通すべきだとか、踏むべき手順があるだろうとか、まあそれはそれで一理あると思うけれど、このへんの事情はわからないから何とも言えない。仮に彼女の精神状態がすごく不安定になっていたとか、所属事務所との溝がすごく深まってしまっていたとかいう状況だったら、「仕事を途中で投げ出すなんて」と一概には言えないと思うけれど。

 もう一つの点は、彼女が「二世信者」だったということ。両親が同じ宗教の信者だから、それが彼女の「出家」に少なくない影響を与えているだろう、と言われている。つまり「出家」が彼女本人の純粋な、自由意志による選択だったかどうか怪しい、という話。

 たしかに、どの宗教であれ、もちろんキリスト教であれ、「二世信者」はちょっと複雑な事情を抱えているように思う。
 簡単に言えば、生まれた時から教会に通っている(通わされている)子供が持つ「信仰」は、本人の自由意志によるものなのか、あるいは多少なりとも押し付けられたものなのか、という問題。これはこれで一つの記事になりそうなトピックなので、ちょっと一言では片づけられない。

 けれどやっぱり、そういった込み入った事情があるとしても、やはり一番大切なのは、「本人が何を選んだのか」という点に尽きると思う。彼女の選択に対して、
「あなたは二世信者だから」
「あなたは忙しい女優業で疲れているから」
「あなたはまともな精神状態ではなかったから」
「あなたは怪しい教祖にうまく騙されているだけだから」
 などいろいろ分析して解説しても、ほとんど逆効果だと思う。

「信教の自由」を殊更に強調する気はないけれど、「本人の意志による選択」を、私たちはお互いに尊重すべきであろう。
「彼女は操られているんだ」みたいな話もあるようだけれど、そのへんはよくわからない。いずれはそういう論理的な話が必要になる時がくるかもしれない。けれど今は、そういう小難しい話を持ち出すよりは、先に挙げたような支持的な態度で接するのが、一番本人の為になるのではないかな、と私は他人事ながら考えている。

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