2017年2月28日火曜日

ブログをはじめて丸4年たった心境について

 2月最後の記事となりますが、思いっきり私事を書きます。

 私は3年前、諸事情あって勤労学生になりました。働きながら勉強したり、試験を受けたり、なんだかんだあったりの3年間でした。そして早いものでこの3月、ついに卒業を迎えました。
 ここはクリスチャンらしく「神様のおかげでこの3年間を乗り越えることができました。感謝します。ハレルヤ♪」とか言えばいいのかもしれないですけれど、なんかムズムズするのでやめておきます。

 実は3年前まで、当ブログは「ほぼ毎日更新」を目標にかかげていました。そしてだいたい有言実行できていました。しかし上記の通り学生になってからは、さすがに毎日なんて不可能で、週1〜2記事で精一杯でした。それでも3年間続けたのは、私自身が常々言っている通り、「始めたことは続けるべき」と思うからでした。

 さて、3月に学校を無事に卒業し、はれて自由の身となるわけです。また当ブログの「ほぼ毎日更新」を再開するのも良いかもしれません。でも毎日書くより、2〜3日かけて1つの記事にじっくり取り組み、より質の高いものを提供できたらいいなあと、今は漠然と考えています。実際にどうなるかはわかりませんが。

 それとは別に、当ブログは開設から丸4年となります。今まで読んで下さった皆さんには、本当に感謝しかありません。ただ4年間同じような内容で続けてきましたので、そろそろ新しい方向性や可能性を模索すべき時ではないかなと考えています。

 もちろん私のスタンスは開設当初から一切変わっていません。「カルト化したキリスト教会」の問題点をできるだけ多角的に捉え、その複雑に絡み合った構造を解きほぐし、その危険性を明るみに出すことが私の(大袈裟な言い方ですが)使命だと考えています。
 その過程で、カルトとは違いますが、いわゆる「原理主義」についても取り上げるようになりました。

 カルトと原理主義とは、基本的に分けて考えるべきだろうと私は考えています。それらはイコールではないからです。しかし私の分析では、原理主義は、一歩まちがうと容易にカルト化する危険性を孕んでいます(これについてはまた別に書く必要があると思います)。しかも当の本人たちにはそんな意識はまったくないわけです。だから私が問題提起すると、原理主義的クリスチャンの皆さんから、ありがたい批判をイロイロいただくわけですね。

 そういう批判の数々には、できるだけ論理的に答えるべきなのかもしれません。ですが私はそれはあまり効率的ではないと考えています。

 もちろん議論を重ね、立場のちがう者どうしが神学的研鑽を重ねるのは有益なのだろうと思います。たとえばリベラル派と福音派がそういう建設的な議論を重ねることができるなら、きっと良い結果を得られるだろうと思います。
 ただ私個人は、そういう議論に向かうほどのエネルギーも忍耐力も持ち合わせていません。わかりやすく言うなら、「話しても無駄だ」と思ってしまいやすいのです。

 だから私は反対意見に敢然と立ち向かうよりは、私の記事を必要として下さる人たちを大切にしたいのです(その方が私の性に合っていると思います)。カルト被害に遭い、あるいは教会に疲れ、あるいは信仰に迷った方々を少しでも支えることができるなら、そんな幸いなことはありません。

 だから当ブログの5年目の方向性を簡単に表現するなら、「寄り添う」ことかなと思います。キリスト教信仰に関連したことで傷ついた人、あるいは明らかな被害に遭われた人、あるいは信仰を見失いそうな人に、具体的には何もできないかもしれないけれど、少しでも寄り添うことができる記事が書けたらいいなあと願っています。
 もちろん急に変わるのでなく、今していることを続けながら、徐々に変わっていけたらいいなと思います。

 まとまりのない文章になってしまいましたが、2017年度も宜しくお願い致します。

4 件のコメント:

  1. ご卒業おめでとうございます。これからも実り多い職業生活であれかしとお祈りしております。

    >カルトと原理主義とは、基本的に分けて考えるべきだろうと私は考えています。それらはイコールではないからです。しかし私の分析では、原理主義は、一歩まちがうと容易にカルト化する危険性を孕んでいます
    私もそう思います。原理主義的な考えを心に抱いているだけなら、思想信条の自由というものがあるわけですし、他人に迷惑をかけているわけではありませんので別にかまいません。
    しかし原理主義者は現実の生活の中で、焼香拒否等の問題を起こすような言動をすることがしばしばあります。よって世間のイメージは「原理主義=カルト」になってしまうのを否定する人はいないと思います。(困ったことに、少なくとも世間に存在する原理主義者たちは、しばしば周囲と対立するような言動をしてしまうのです。)
    よって「一歩間違うとカルト化」というより、「現実の中で原理主義的な言動をするとカルト化」といったほうが正しいのではないでしょうか?
    惨殺された電波系鬼畜ライター村崎百郎の言葉が、こんなときにふと頭に浮かんできます
    「(電波の声が)聞こえること自体が狂ってんじゃねえ。耳を傾けるようになったら基地外になんのよ」



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  2. カルトに関わっていた者として、感動しました。


    寄り添って行くこと、大切にしたいですね。

    これからも記事を楽しみにしてます。

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    1. ありがとうございます。
      何ができるかわかりませんが、書いていきたいと思っています。

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  3. >そして早いものでこの3月、ついに卒業を迎えました。
    おめでとうございます!(PC環境の関係で・・・遅いコメントとなりすみません。)心からハレルヤですね!

    >でも毎日書くより、2〜3日かけて1つの記事にじっくり取り組み、より質の高いものを提供できたらいいなあと
    あまり「質の高いもの」にすると頭の悪い自分にはついていけなくなるので、程ほどのレベルでお願いしま~す

    >「カルト化したキリスト教会」の問題点をできるだけ多角的に捉え、その複雑に絡み合った構造を解きほぐし、その危険性を明るみに出すことが私の(大袈裟な言い方ですが)使命だと考えています。
    私には難しいと思うお話もあるのですが、考え方として発見できたり色んな方の意見も見えたりと、自分を反省してみたりと、色々な課題が出て来て気づけない部分に気づく事ができたりと私的には応援しています

    頑張って良いものにし過ぎると、どこかでしわ寄せくると嫌なので「主さんらしく」でいいような気もします。あまり頑張り過ぎないでください!

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