tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post8532185144233366038..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: 邦画に学ぶ「地方の生活」と「キリスト教の関わり方」fuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-9079125661753770002017-05-15T19:18:01.805+09:002017-05-15T19:18:01.805+09:00確かに言えていますよねこれ(笑)。とにかく上から目線なの。
「お前らは神を知らないからかわいそうなや...確かに言えていますよねこれ(笑)。とにかく上から目線なの。<br />「お前らは神を知らないからかわいそうなやつらだ。俺が神を教えてやるからありがたいと思え」みたいな。<br />だから日本の伝統的なものを嫌悪します。路傍の石仏に対しても「悪魔がいる~」と騒いだり。<br />同じキリスト教でも伝統宗教系では路傍の石仏を見て、「日本人の心をずっと癒してきたんだなあ。どれほど多くの人々がこの石仏に心救われた思いがしただろうか」と感慨にふけるというのにね。<br />困ったのはこういった新興宗教系プロテスタントに毒された日本人たちが、非信者が大半の現状を見て「滅びゆく魂を救わねば」と、はた迷惑な使命感を抱くことです。これは創価学会や顕正会の折伏大行進と同じことじゃないですか。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-83564125881513137152017-05-14T15:53:52.542+09:002017-05-14T15:53:52.542+09:00最近教会の色々な事から遠ざかって思う事です。
日本の各地の伝統や文化、習慣等を一刀両断「偶像崇拝・...最近教会の色々な事から遠ざかって思う事です。<br /><br />日本の各地の伝統や文化、習慣等を一刀両断「偶像崇拝・礼拝だ」と決めつけたのは、他でもない外国から来たキリスト教(特に福音派)の宣教師達でしょう。OMF等の宣教師達の言動を思い出します。 <br />彼等はその信じる宗教の信仰を根底として、それは純粋に「日本の救いのために」と熱意と情熱を持って来られて、無償の働きを成した事でしょう。<br />その事自体に罪は無いでしょう。<br />そしてキリスト教が、歴史的に白人大国の尖兵としての、肌の色が違う民族への人種差別と家畜視による、殺戮と凌辱と植民地化の、露払いの役割の事実は置いておきましょう。<br />そこで単純に宗教信者としての行動として見た場合ですが、彼等の一連の行動は、自分達こそが絶対に正しく、信者以外の日本人ははみな間違っているだの問題だの真理を知らない滅び行く可哀想な人達だのと、本来イエスの産まれた東洋としての中東の物ではなく、西欧文化や伝統・習慣等を押し付け、それに合わせる事こそがキリスト教信仰だと言っているに等しいのです。そしてその教育を受けた日本人信者が、社会に反発して問題を起こしています。<br /><br />(もっとも、ただひとつの真理だとか、正しい信仰だとかではなくて、数ある宗教の中の一つとしてのキリスト教ならわかりますけれどね)<br /><br />ネットで「キリスト教は何故日本に普及しないのか?」等と検索しますと、キリスト教側の人々の物は全て(当たり前でしょうが(笑))「日本人の・・・・の問題」「神を知らない」「罪を知らない」「聖書の通りの信仰を知らない」等と、自画自賛・我田引水・鉄面皮・身の程知らずも甚だしいと、つくづく思わされます。<br />一方外部の意見は、理路整然として至極当然な事ばかり。頷きの連続です。<br /><br />結論として、日本にキリスト教の新興宗教系福音派・カリスマ派・ペンテコステ派・聖霊派は、全く必要が無いばかりか、これから国を背負って立つべき若い人たちに、余計なお節介と回り道をさせて、働く意欲や自立心を奪い、害毒をもたらす厄介者としか言えないでしょう。無駄です。<br /><br />お金と時間の有り余る、そう言う事が大好きな人達がこぢんまりとより集まって、思考停止のお花畑信仰で自己満足し合っていれば良いのだと思います。<br />まあ、高齢化でいずれ消滅するでしょうけれど。<br />物好きな若い人は残るかな?<br />自主運営のサークルの一種として、会堂建築だの牧師家族の給与だの、余計な事にお金を掛けないで、公共の施設を借りて公共に奉仕し、慎ましくやれば良いのです。<br /><br />まず自分と家族の事を優先するべき事は、当たり前の事です。それを「神と教会の事を優先」等と言っている教会等には、決して通ってはなりません。マリックnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-31935166688442515982017-05-14T08:22:17.324+09:002017-05-14T08:22:17.324+09:00日本でも外国でも地方と都会では宗教的な空気が全然違うと思います。
フランスでもこの辺りの事情は同じで...日本でも外国でも地方と都会では宗教的な空気が全然違うと思います。<br />フランスでもこの辺りの事情は同じでして、「最高の花婿」というロワール地方を舞台にした映画を見るとわかるのですが、パリと違って地方は熱心なクリスチャンが多いのです。ル・ペンの支持層が地方都市の熱心なクリスチャンというのが、この映画を見ているとなんとなくわかるような気がします。<br /><br />新興宗教系プロテスタントの人は、祭りに敵対的な考えを持つ人が目立つのは事実だと思います。実際に地方に在住する人が祭りを拒否して、「あの人はかわいそうに。頭がおかしくなって」と憐れまれてしまう話があるくらいです。地方都市で祭りを拒否するのは、創価学会とものみの塔聖書冊子協会と新興宗教系プロテスタントと決まっています。彼らの共通点は狂信的で基地外扱いされていることでしょう。<br />ただ創価学会に関しては、昔は「みこしを担ぎたい人は学会員にはなれない」とかたくなな姿勢を保持していましたが、最近は浅草や神田のような地域では、みこしをかつぐことも認められる方向にはなってきているようです。<br />ものみの塔聖書冊子協会と新興宗教系プロテスタントは、まだそのような方向性には至っておらず、創価学会よりも下をいっているのは確かです。<br /><br />新興宗教系プロテスタントの人は、「キリスト教にはみこしや山車はない」と主張して、しばしばクリスチャンからも笑われています。実はキリスト教はみこしをかついで山車を引く宗教なのです。<br />ブルターニュのパルドン祭では町によっては女みこしが出ます。ブルターニュの民族衣装に身を包んだ女性たちが、御詠歌を歌いながらみこしをかつぎます。<br />フィレンツェの復活祭は祇園社のおけら参りと諏訪大社の筒粥神事を併せ持ったような行事ですが、復活祭の最大のメインとなるのはは大聖堂の前で行われる山車の爆発です。<br />新興宗教系プロテスタントの人は「私はクリスチャンですっ!キリスト教のことなら何でも知っていますっ(きりっ)!」と毎日のようにいいますが、なぜかキリスト教はみこしをかつぎ山車を引く宗教と知りません。このあたり非常に滑稽だと思いませんか?Anonymousnoreply@blogger.com