tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post6977260239081901776..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: 聖書解釈のガラパゴス化fuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-16534556058584101642016-10-04T19:01:16.687+09:002016-10-04T19:01:16.687+09:00|「聖書研究」とは、本来ならキリスト教の歴史を学ぶことや、いろいろな教派に枝分かれしてきた経緯や理由...|「聖書研究」とは、本来ならキリスト教の歴史を学ぶことや、いろいろな教派に枝分かれしてきた経緯や理由、各教派の特徴や考え方、聖典礼(秘跡)の違いや在り方、などから始めるべきだと思う。つまり多くの先人が残してくれたものに敬意を持つことがスタートだと思う。<br /><br /><br />いまアキバ系に人気の漫画に「がっこうぐらし!」というのがあるのですが、<br /><br />第7巻の第38話に、それまでの居場所を離れて大学という場所にやってきたヒロインたちを、攻撃という形で出迎えた「武闘派」というグループについて、もうひとつのグループのリーダーである「トーコ」が「あいつらも悪いやつじゃないんだけど」と説明したり、<br /><br />第40話ではトーコが武闘派と会談を持ったことをヒロインのひとりに伝えたあと、「でもさ、あっちに行ってもいいんだよ」と語ったくだりがあって、<br /><br />自分たち以外の人間が、何らかの理由でほとんどゾンビ化したと認識される世界、<br />そのなかで生きぬこうとするヒロインたちを描くストーリーにおいて、立場の違いを理解して共存しようとするトーコの、<br />ゆるい面もあるけど、それでも争いを避けたいという思いに、私は共感できるわけです。<br /><br /><br />確かに、新旧教派の比較は大変で、お初にすべて理解させるのは困難、つか無理。<br />もっと言えば、誰でも福音をそのひとに語った以上、自分のところに引き込みたい、<br />よそのことは本当には知らないし、それに転居を除いて、教会を異動するというやり方も、ほとんど説明されない。<br />異動したひとがリベラル大教会の信徒に、よく移れたねと言われたという話も聞いたし、<br />よその教会に救いがあるとしたら、なぜそこを選ばなかったのか、という問いかけがありそうだ。<br />だのに、牧師信徒がほとんど変わっていないのに、礼拝のやり方や伝道方針に手法が劇的に変わるというのは現実にある。<br />納得できないひとに新しい道も示さずに、ついていけないのは聖霊に満たされていないからだとほざく牧師教会員は、<br />自分同様、霊的にそのひとをダメにしていると言えるでしょう。<br />信仰的思想的な問題以外にも人間関係でもそういう問題は起きるし、信徒の活動ひとつでも、やってよいか否かは教会で決まるし。<br /><br />具体的には、昔ながらの讃美歌がよければ、讃美歌54年版を採用する教会を紹介し、<br />クリスチャンミュージックがよければ、福音派を名乗る新興宗教系プロテスタント教会に行くのも止めてはいけない、<br />ブラックゴスペルのグループが盛んな教会があって、そこに行きたければ、認める、<br />礼拝の後の交わり会だって、スポーツや「さんび」だけではなくて、ボードゲームだって悪くはないだろう、それで来る人もいるかもしれない。<br />つか、原語聖書とか英訳聖書の読書会だって、本来教会がやるべき学習ではないだろうか。<br /><br />そうして、やりたいこと歌いたい歌で教会を決めて、お互い認め合う、<br /><br /><br />まさに、みんな違ってみんないい、がよくはないですかね?<br />ヘタレChttps://www.blogger.com/profile/05850295825584357462noreply@blogger.com