tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post6219001822233800168..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: 「神」に対する偶像崇拝fuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-26812496799464668012016-10-22T19:24:30.235+09:002016-10-22T19:24:30.235+09:00それは聖霊派ですね。何かを言っているようにみえるのは、異言といって聖霊派やカリスマ派ではよくあります...それは聖霊派ですね。何かを言っているようにみえるのは、異言といって聖霊派やカリスマ派ではよくありますよ。<br /><br />ただこういうものは新興宗教系のキリスト教だけにしかみられないものではありません。幸福の科学のような新興宗教系の仏教でも、大川隆法教祖が宇宙言語とやら、わけのわからない音(たとえば「うっ、うっ・・・」等)を発していて、教祖の著書の中にもその手の音ばかりを表記したものがありますよ。冗談抜きで、本を開くと、「異言」としか思えない意味不明な音が、ずーーーーっと書いてあったりしますので(苦笑)。<br />こんな本を百冊も買ってばらまく信者も信者なのですが、なら新興宗教系プロテスタントの教会、特に聖霊派やカリスマ派の関係者は、幸福の科学の信者をはたして笑えると思います?<br /><br />異言を発して祈る人を「あの人すごい!成長しているじゃないか!」と仰ぎ見ている姿と、大川隆法のあほ本を大量に買ってばらまいている姿と、いったいどこがどう違うのでしょうね(笑)。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-65909318673250525702016-10-22T10:56:45.095+09:002016-10-22T10:56:45.095+09:00新興宗教系プロテスタントの礼拝でのお祈りに参加した事がありますが祈りの最中に「うっ----っ」とか「...新興宗教系プロテスタントの礼拝でのお祈りに参加した事がありますが祈りの最中に「うっ----っ」とか「シュッ!シュッ」だとか「▽■#¥%(→ブツブツ何かを言ってる)」だとか、体をゆさぶったり揺れたりする人がいます。暇な専業主婦が多いように思えるのは私の偏見でしょうか。暇すぎて宗教(異言を行う事によって自分が成長したと思えるなど)で自己満足しているだけとか。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-58363625064440492102016-10-11T06:00:16.380+09:002016-10-11T06:00:16.380+09:00ブログがあふれかえってますからね。
「○○をして、こんなに祝福されました、神様ってほんとに素晴らしい...ブログがあふれかえってますからね。<br />「○○をして、こんなに祝福されました、神様ってほんとに素晴らしい」<br /><br />ちょっと前、携挙であげられるためにすることの一つに「異言の祈りをすること」<br />と発信されているのを見たことがあります。<br />異言が口から出る人を何人か知っていますが、<br />「別に出ないならそれでいい」とあまり重要視していない人と、<br />「異言を授かってないの?#&▲$ 求めれば誰でも与えられるんだよ」という人がいます。<br /><br />最近驚いたのですが、<br />あのミセスWは何か違うと分かったと決別した人が<br />天使の羽や金粉は、ミセスWと出会う前からいただいていて、今もいただいている<br />と話しているのです。<br />幼子のように信じている人には、こういうしるしが与えられる場合もあると考えるのは<br />女性特有の思考でしょうか。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-89829514877644756072016-10-09T08:27:05.869+09:002016-10-09T08:27:05.869+09:00>>「神様はこういう方だからきっとこんな調子で、こんなことを語られるに違いない」という自...>>「神様はこういう方だからきっとこんな調子で、こんなことを語られるに違いない」という自分の想像を、勝手に神の「御心」とか「導き」とか「計画」とか「啓示」とかにしてしまっている点<br /><br />確かに新興宗教系プロテスタントにはこういった傾向が非常に強くあると思いますね。「天のダディが云々・・・」というブログを書いている、例のばあさん教祖がその典型だと思いますが(笑)。<br />この手の電波系の人たちのいう「天のダディ」の特徴といえばですね、とにかく自分たちにとって都合のいい性格を持っているといいましょうか、彼らの決定に対して絶対に反対しないゲロ甘パパということですか。<br /><br />これで思い出すのがブッシュjr.の大統領時代ですよ。彼もボーン・アゲインという新興宗教系プロテスタントの熱心な信者でした(注 ブッシュ家の宗旨ではなく個人的に信じているもの。家の宗旨は監督派教会)。<br />周知のようにあちらの業界には、頭のおかしな教祖様がごまんといまして、彼はああいう連中に完全に洗脳されてしまったのでした。それで「神の声を聞く人」になってしまったみたいですね。「自分はいつも神に祈ってやっている。神が十字軍をやれとお命じになった」と本気で思っていたようですよ。<br />これに危機感を募らせたバチカンは、枢機卿を派遣して「神は娑婆のことには介入しないものだ」と、ヨハネ・パウロ二世からのメッセージを伝えたのですが、「ローマ教皇が何をいおうが、こっちは新興宗教系プロテスタントだから従う義務はない。そんなの関係ねえ!」状態でした。まあ創価学会の熱心な信者に東大寺の別当が忠告しても、耳を貸す義務もないし、素直に従うなどありえないわけですが・・・<br /><br />結論としていえることは、どんな宗教を信じたとしても(それがたとえ新興宗教だったとしても)、「神や仏の声を聞く人」にだけはなってはいけないということですよ。Anonymousnoreply@blogger.com