tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post503927149380649856..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: 教会と地域社会の関わりfuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-31564167422777796752014-08-27T21:14:41.671+09:002014-08-27T21:14:41.671+09:00「地域に仕える」というヴィジョンを上げているところもあることはありますよ。
でもそんなところだからい...「地域に仕える」というヴィジョンを上げているところもあることはありますよ。<br />でもそんなところだからいいところなのかと問われれば、話はそう単純ではないのですから、このあたりが難しいといえば難しいと思うのです。<br />ある新興宗教系のプロテスタントの教会の例をあげますが、その教会は確かに「地域に仕える」というヴィジョンをあげてはいます。そこは教祖様の事業欲が大変旺盛で、嫌な言い方をすれば、信者さんたちはそれに振り回されているような印象を受けますね。<br />子供や老人や障碍者といった、社会的弱者のためにいろいろな事業をやっているのは確かなのですが、社会人の信者が二百人もいないであろうと思われる教会で、あそこまで盛りだくさんにやっているとなると、出ていくお金はハンパなく・・・・。<br />もちろん新興宗教系のプロテスタントということで、繁栄の福音を支持していないとはいえないと思いました。なぜなら教祖様は「教会が豊かになれば、それが信者のほうにもおりていって、信者も自然と豊かになるのだ」と教えていますし、お堂もかなり立派な建物だからです。建物が立派になればそれだけいたみやすく維持費もかかりますよ。<br />「地域に仕える」というヴィジョンを持ち、社会的弱者のために様々な福祉的な事業をやっているということで、その教祖様をわが町の篤志家と見る人もいるのかもしれません。しかし建物関係の費用や教祖様の「地域に仕える」ヴィジョンによって立ち上げられた様々な福祉的な事業にかなりのお金がかかってしまって、その教会では什一献金のほかにもさまざまな名目で、しょっちゅう献金のお願いがなされています。<br />かなりお金のかかる教会ということで、もちろん信者のほうも衣食住に事欠く所得の人はほとんどいませんし、そんな人が勧誘されることもありません。あくまでそれなりに出せる人(最低でも什一献金はできる人)しかその教会にはいません。信者のほうもどういった人をつれて来るべきかはちゃんと心得ていますので、誰彼かまわずトラクトを路上で渡すというような効率の悪いことはしません。万が一間違って低所得の人が来たとしても、おそらく半年もたたないうちに「ここは自分なんておよびじゃない」とわかって去ってしまうでしょうね。<br />もっとも最近はその教会もバブル期ほどの収益はないようです。バブル崩壊で什一献金ができるほどの収入のある人が減ったことが一番大きいでしょうね。また求道者が行く前にカトリックよりプロテスタントのほうがお金がかかるといった基本的な情報を、インターネットでちゃんと調べるようになっていることもあってか、以前ほど求道者、とくにその教会が求める最低でも什一できる人が、来なくなってしまったのが大きいようです。そのせいかここ三年ほどは祈祷会でも「教会を去った人が戻ってくるように祈りましょう」といわれるようになっていますが・・・。Anonymousnoreply@blogger.com