tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post4624521763354614042..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: 『たいせつなきみ』が伝えているものfuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-35195956507900012292018-01-16T22:15:36.058+09:002018-01-16T22:15:36.058+09:00子供の教育に教会が絡むと、いろいろややこしくなるのも事実ですね。子供からすると、「親が沢山いる」みた...子供の教育に教会が絡むと、いろいろややこしくなるのも事実ですね。子供からすると、「親が沢山いる」みたいな状況になりますから。<br /><br />牧師が教育熱心だと、信徒の子供にあれこれ介入して、結果的に親の教育権が奪われる、なんてことにもなります。「両親を敬え」が、いつの間にか「牧師を敬え」になっているのですね。<br /><br />逆におっしゃる通り、子供自身が直面すべき問題なのに、親が余計な手出しをする、というのもどこででも見られる光景です。クリスチャン家庭に特に多い気がします。子供に対する理想が、高すぎるのかもしれません。<br /><br />これは持論ですが、幼いうちは教会にドップリ浸からない方が、結果的に子供のためになると私は考えています。fuminaru kawashimahttps://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-44794777170836973292018-01-16T22:04:43.059+09:002018-01-16T22:04:43.059+09:00おっしゃる通り、礼拝の歌詞としてはふさわしくないと私も思います。
他にも「神の家族」とか、「私たちは...おっしゃる通り、礼拝の歌詞としてはふさわしくないと私も思います。<br />他にも「神の家族」とか、「私たちは一つ」とか、教会の連帯を歌う賛美も何だかなあと思いますね。神を礼拝しているのか、自分たちの教会の素晴らしさに酔っているのか、よくわからないので。<br /><br />日本の多くの教会は総勢50人以下の小さなコミュニティですから、良く言えば家族的ですが、その分いろいろなことが無批判・無思考に延々と続いてしまう傾向があると思います。よく考えれば「おかしい」とわかることが、ちっとも改善されない、みたいな。<br />もちろん、大きい教会でもそういう傾向はありますけれど。fuminaru kawashimahttps://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-82769634550491175822018-01-16T18:18:50.598+09:002018-01-16T18:18:50.598+09:00この絵本や歌は多分私も読んだり聞いたりした事がありますね。私は元々自己肯定感が逆に物凄く低い子供だっ...この絵本や歌は多分私も読んだり聞いたりした事がありますね。私は元々自己肯定感が逆に物凄く低い子供だったので、それもそれで大変だったのですが、身内のクリスチャンの子達はやっぱり子供が少ない中で育って来てるので良い意味では伸び伸びです。が、思春期に入って来ている子はちょっと不安定ですね…。同じく知り合いのクリスチャンの子も思春期なのですが不登校です。<br />教会にいると割りと周りの大人が「言うことを聞いてくれる」だったのが、学校の先生(大人)が「言うことを聞いてくれない」のが面白くないみたいな感じでした。その子の両親にしてみれば「問題」なのかもしれませんが、私にしてみたら理不尽な体罰や暴言が無い限り、先生の言う事を聞くのは「普通」だと思うんですが…。<br />でも、その子にしてみたら「ここが大事なぶつかり時」だと思うんですが親が出ていって代わりに何でもやってしまうのもどうなのかな?って。<br />確かに子供の事を思えば何でもしてあげたくなるのはわかりますけどね。メビウスnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-67942055801301349492018-01-16T00:18:02.371+09:002018-01-16T00:18:02.371+09:00「君は愛されるために生まれた」は、教会の礼拝で歌っていい歌か、私は疑問に思いますね。
いちおう礼拝...「君は愛されるために生まれた」は、教会の礼拝で歌っていい歌か、私は疑問に思いますね。<br /><br />いちおう礼拝は神に向かってするものなんでしょうけど、あの歌は「君」ですからね。方向性が違います。<br /><br />あの歌が賛美として認められるなら、「世界に一つだけの花」も認められるはずです。<br /><br />そんな話を教会の人にしたら、あの歌は歌詞に「神」と出てくるからいいんだと返されましたけど。<br /><br />あの歌は、聞いている人の承認欲求を満たす歌なので、一人で神に向き合って自分のことを見つめ直すこととは別の生き方、つまり、みんなに自分のことをほめてもらいながら生きていくようで良い気がしません。<br /><br />なんだか、自分を特別扱いしてくれるであろう牧師や教会スタッフへの依存が深まっていくようで心配ですね。<br /><br />私はあの歌を教会の礼拝で歌ってる教会はオススメしませんね。<br /><br />ま伊集院裕http://s.ameblo.jp/romas0828/noreply@blogger.com