tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post3976139506098895762..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: beかdoか、はたまたre-creationか、でも結局堂々巡りな気がする、という話fuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-11440119501842330442015-03-25T17:56:43.914+09:002015-03-25T17:56:43.914+09:00新生とか
主にある変容とか
御霊の満たしとか、
俗世ぢゃ言われるはずのないコトを、
あれこれ他人から...新生とか<br />主にある変容とか<br />御霊の満たしとか、<br />俗世ぢゃ言われるはずのないコトを、<br />あれこれ他人から言われる、けっして「主からの導き」ではない形で、<br />さらにそれを目指してがんばろうとか努力が大事とか、でもないらしい、、、<br /><br /><あ、<br />祈りなさい!<br />御言葉に耳を傾けなさい!<br />世人に主の御言葉を「宣べ伝え(笑)」なさい!<br />というのは、「世人」の目には努力に見えるのだけどね??たぶん><br /><br />要は、牧師以下教会員の御眼鏡にかない、<br />教会に滞っている空気を読んでふるまえるようになる、<br />それも、その行動を努力せずに、<br />いや、「努力」と口にせずに、<br />教会内での平和を作り出せる信徒になるのが、<br /><br />新生、つか、recreationなンだろうか?<br /><br />その過剰適応を、「御霊の満たし」というのだろうか?<br /><br />福音派って、大変…sighヘタレChttps://www.blogger.com/profile/05850295825584357462noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-80838481113657744402015-03-25T09:43:27.796+09:002015-03-25T09:43:27.796+09:00ある姉妹がうちの教会にやってきた。聞けば彼女は とある大きな教会から分裂をして傷を負ってきたらしい。...ある姉妹がうちの教会にやってきた。聞けば彼女は とある大きな教会から分裂をして傷を負ってきたらしい。皆 彼女を歓迎した。しばらくすると、彼女には分裂の霊があると言う話が耳に入ってきた。どうやら牧師が言っていたらしい。少しばかり、上層部のある一部の人と牧師が見張っているようにさえみえた。その空気を察してか彼女が意見を述べると反抗の霊を持っていると言う。あきれた。羊を霊でしか捉えていないことにも、賜物や召しの大きさでしか私たちを見ていない事にも。それでいて私たちの教会は霊的だという。本題に戻ろう、クリスチャンはbe かdoかの話だった。私はingだと思う。being 又はdoingだと思う。うまくいっていても、ミスっていても、それでも生き続けなければいけない。例え変容していても完璧なんてありえない。私たちは神じゃない。死ぬまで新しくされ続けるであろう。謙遜に対しても、やっぱり、being・doingでいれたらと思う。私ごとではあるが。Anonymousnoreply@blogger.com