tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post3600888964137702208..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: クリスチャンの結婚にまつわる「結婚相手の条件リスト」の弊害fuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-91864785849309361572019-11-18T11:42:28.354+09:002019-11-18T11:42:28.354+09:00激しく同意!現在婚活中です。リストの祈りをして神様にはっきり肉眼でわかるように強烈な光をもって示され...激しく同意!現在婚活中です。リストの祈りをして神様にはっきり肉眼でわかるように強烈な光をもって示された人がいました。結局諸事情ありダメでした。他にも祈りの中で男性が見えてその人と会うことがありました。結局諸事情でダメでした。勿論霊的体験だけでなく、それぞれに与えられた御言葉も握っていました。しかし、<br />結局は自分の期待通りに導かれなくても信じ続けるしかないんだと、正直失望を感じつつも自分の肉をうち叩いて婚活に励んでいます。<br />祈りがきかれたハレルヤと言って結婚している人、この人だと受け取って結婚しましたと言っている人も沢山知っていますが、そういう証は神様の間違ったイメージを植えつけるものなのかもと思っています。何故なら私もその人たちのように神様から受け取り、かつ、本気で祈りつづけ、結果、駄目だった人ですから(泣笑)<br />でも、たとえ裏切られたと感じる体験を数多くしたとしても、私には主を信じて生き続けるしかできません。悔しいですが、信じ信頼し続けるしかできない。他人の証や幻に惑わされることなく、主にベストを信じ、私は主から与えられた目と口と足と思考を用いて私が結婚したいと思う人を見つけ出し、勝利(結婚)を勝ち取ります!イエス!Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-14534191263185711112014-08-17T21:29:51.432+09:002014-08-17T21:29:51.432+09:00かの有名な(?)著書、第四次元・・・の影響ではないでしょうか。私も信仰の諸先輩方からとにかく具体的に...かの有名な(?)著書、第四次元・・・の影響ではないでしょうか。私も信仰の諸先輩方からとにかく具体的に祈った方がいいよ~!!!と十数年前に言われたことを思い出しました。容姿に始まり、思いつくことなんでも!といった感じでした。謙遜なw私は10個に絞って祈ったことを覚えています。今思うと、絞ったあたり、私は心底諸先輩方のアドバイスを信用していなかったのか、、、不信仰だったのか。。。という感じです。なつかし。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-18829023158687387992014-08-17T20:55:26.636+09:002014-08-17T20:55:26.636+09:00自分の望みの条件のリストを作って、そんな人と出合えるように祈れる自由があるなら、そこはまだましな教会...自分の望みの条件のリストを作って、そんな人と出合えるように祈れる自由があるなら、そこはまだましな教会といえましょう。<br />某新興宗教系プロテスタントでは、望みの条件のリストを作るとか、お望みどおりの理想の人と出合えるように祈るとか、そんな素敵な発想すらありませんでした。<br />そこではただひたすら献金と奉仕に明け暮れます。物質的にも肉体的にも精神的にも全員くたくたに疲れ果て、時間の余裕もなくぼろぼろでした。結婚したいと思ったら、とにかくまずその新興宗教団体のためにすべてをささげ尽くすことを義務付けられました。<br />教祖から献金や奉仕をしっかりやっていると判定されたときにはじめて自分も結婚をしてみたいと教祖に打ち明けることができました。教祖が「どれでも好きな兄弟(or姉妹)をもっていっていいぞ。」といわれれば、それでようやっと好みのタイプの異性を持っていけるというわけです。もし教祖から「この人はまだまだ。」と判定されれば、結婚をしたいし実はいいと思っている兄弟や姉妹がいるとどれだけ泣いて頼んでも、「お前はまだまだ献金も奉仕も足りないから、もっと教団の活動をしっかりやってからじゃないと結婚するのはだめだ。」といわれて、結婚したいと思っても100%不可能でした。<br />教祖が応諾しないと結婚どころかお付き合いすることも絶対に許されなかったのです。一見すると、自分の好きな異性を持っていっていいといわれているので、恋愛する自由があるようにみえるのかもしれませんが、配偶者の選択肢は極めて狭い範囲であり、もちろん教祖の応諾がない限りはだめですから、実質的には統一教会のように教祖が結婚を決めていたようなものだといってもいいと思います。統一教会との違いは、結婚式だけはさすがに集団ではなかったことくらいでした。Anonymousnoreply@blogger.com