tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post2986544797482627780..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: ブログを書く理由についてちょっと整理してみたfuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-52740143345054196332016-04-11T08:41:37.112+09:002016-04-11T08:41:37.112+09:00>彼らは創価学会でいう信濃町の職員です。
そういえば、いのちのことば社も昔は信濃町に会社がありまし...>彼らは創価学会でいう信濃町の職員です。<br /><br />そういえば、いのちのことば社も昔は信濃町に会社がありましたね。<br />信濃町には慶応医学部もカトリックの真生会館もあるから、場所はどうのこうのではないのですが。<br /><br />なんだかな気がします。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-89563476978991840152016-04-10T08:34:08.847+09:002016-04-10T08:34:08.847+09:00fujimaruさんにケチをつける人には二種類いるのではないかと思います。
一つは聖職者で、もう一つ...fujimaruさんにケチをつける人には二種類いるのではないかと思います。<br />一つは聖職者で、もう一つは信者です。<br /><br />聖職者がケチをつけるのは、fujimaruさんの毒が蔓延すると、信者が減ってしまうので、自分がもうからないからです。新興宗教系プロテスタントの聖職者の中には、金儲け目的で教会を開業している人がいるのは事実です。この業界に長く身を置いている老いた聖職者(ちなみにこの人は什一献金や狂信的な指導は一切しない人です)に聞いてみたことがありますが、彼もはっきりと「確かに思い当たる人は何人かいますね」と認めていました。<br />信者の場合は、ほとんどが人生そのものを宗教団体に布施してしまっている人です。彼らは創価学会でいう信濃町の職員です。<br />そりゃあ誰だって自分が間違った選択をしたとは認めたくないでしょう(笑)。こういった人たちの大半は、新興宗教系プロテスタントに騙された結果、人間関係も職も失い、今更逃げ場がないのです。<br />彼らは信濃町の職員と同じで、宗教から離れたら生存するすべがありません。実は信者の中には、「変な宗教に騙された」とうすうす感じ取っている人もいます。しかしそれは絶対に口に出すことはありません。なぜなら新興宗教系プロテスタントは彼らのアイデンティティそのものですので、それを否定することは自分のすべてを否定することになり、精神のバランスを失ってしまうからです。自分の心を守るためにも、そこに忠誠をつくし、必死で守らなくてはならないのです。彼らは本当にかわいそうな人たちといえます。<br /><br />マリックさんはすんでのところで助かって本当によかったと思います。一歩間違っていたら、信濃町の職員と同じ境遇になっていたことでしょう。ご家族がまだJECAに残っているというのは非常に残念ですが、一日も早く目が覚めるようお祈りしたいと思います。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-38768492019850986712016-04-10T02:18:41.225+09:002016-04-10T02:18:41.225+09:00宗教は怖いですね。
以下引用させていただきます。
・自分の信仰が唯一絶対正しいと思っている。
...宗教は怖いですね。<br /><br />以下引用させていただきます。<br /><br />・自分の信仰が唯一絶対正しいと思っている。<br /><br />・他の信仰の在り方、他の意見に耳を貸せない。<br /><br />・どれだけ理路整然と説明されても「こいつは真理がわかってない」で一蹴する。<br /><br />これは、かつての私そのものでした。そして、福音派と言われる教会の主な信仰状態を、簡潔に言い表しています。<br /><br />長く、JECA傘下の(今もですが(笑))福音主義の教会に所属して、「神の御心」と追い求めて行った結果、カリスマ運動に魅かれて主の十字架CCと言う団体に入会して、「ああ、これこそ神の御心だ」と心酔し、子供たちも小さい頃に丁度リストラの憂き目に遭って「これは神がなさった事だ。献身に導かれているのだ」と結論付けて(確かに精神的にはある意味「良かった」かな)ダッシュしてしまいました。<br />当時はインターネットも普及し始めた頃?でしたし、PCも我が家では「まだ」の頃。献金して牧師には当時のMACを使って頂いた?頃でした。<br />今のように、教界に疑問や不満を持っている人達が情報を交換する術もなく、専ら週毎に顔を合わせる「リアルな」関係のみの「時代」でした。<br />疑う術も無く、当時団体に起こったスキャンダル(性的・金銭的)すら、ある意味で隠されていたにせよ「神のなさっている事に立ち入る事は許されない」的な思いでいました。<br />「神の物」だと言う一言で全てが動いて行ってしまう「自己否定」と「他力本願」と「思考停止」。<br /><br />たった一度の人生であるならば、もっと有意義に自由に、法律以外に何事にも縛られない人生を生きたいですね!!マリックnoreply@blogger.com