tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post2434989176651273830..comments2024-01-31T22:29:56.710+09:00Comments on ふみなるのブログ: クリスチャンと「ヴィジョン」の関係fuminaru kawashimahttp://www.blogger.com/profile/06644023616804614026noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-295707364324746106.post-63182478225404874572015-02-18T01:06:53.991+09:002015-02-18T01:06:53.991+09:00ヴィジョンは、教会でも、たとえば毎週の礼拝に100人以上が集まるように、地域のリバイバルのため、また...ヴィジョンは、教会でも、たとえば毎週の礼拝に100人以上が集まるように、地域のリバイバルのため、また教会の内装の改修のために金額をだして満たされて修繕ができるように祈る課題がでてきますが、それらは、教役者が「神が教えたから」あたえられたものというのは簡単かもしれません。<br />しかし、みなはそれを疑わずに祈り、奉仕に専念します。しかし、年度末にかなわないと、教役者があせり、教会につらなる信徒にヴィジョンがかなわないのは信徒のせいだと責任転嫁してしまうことが以前通っていた教会でありました。教会を司る教役者は無責任です。政治家でも何らかの問題があったら身をもって責任を負う姿勢があります。発言にも責任はあります。一般企業なら、ついていく従業員はいなくなる。教会を司る教役者は企業のトップなどの方法論などを少し押えないといけないと考えます。木林noreply@blogger.com