2018年3月30日金曜日

キマジメくんのクリスチャン生活 第83話

 皆の絶叫がしばらく続いた。
 ギターが高音で鳴き、ドラムが激しいリズムを刻む。溝田牧師は片手でマイクを持ち、もう片手を高く挙げて、天を仰いでいる。恍惚とした表情だ。カンカク姉妹が「ハレルヤ、ハレルヤ、おーハレルヤ」と繰り返し叫ぶ。皆叫んでいるけれど、カンカク姉妹の声はマイクを通したかのように、一際よく通るのだった(これも執り成し手の油注ぎなのだろうか、とキマジメくんは思った)。
 キマジメくんは珍しく両手を広げてみた。「主の臨在」が滝のように流れ、圧倒されるような感覚があったからだ。目を閉じると、立っていられないくらいの「波」が押し寄せてくるような気がした。一瞬にして、全身に鳥肌が立った。
 よく溝田牧師に「按手」された信徒がバタンと後ろに倒れることがあるけれど、あれはきっとこんな感覚に違いない、と思った(キマジメくん自身は、まだ「按手」されて倒れたことはなかった)。
 しばらくそんなふうに、「主の臨在」を全身で感じた。皆の叫び声や楽器の音が入り混じって、まるで洪水のようだ。そのまま押し流されて、どこかに流されてしまうかもしれない・・・。それでもいいとキマジメくんは思った。「この世」の様々な葛藤や苦しみから解放されて、このまま神様のもとに行けたら、どんなに素敵だろうか。
 体がふわふわと軽くなったように感じた。本当に水の中を漂っているようだ。何とも言えない心地よさ。
 半ば朦朧とする意識の中、キマジメくんは、溝田牧師が以前こう言っていたのを思い出した。
「私たちが身を委ねる時、聖霊様は霊的エクスタシーを与えて下さるのだ」
 それを聞いた時は「霊的エクスタシー」なるものが何なのか、想像も付かなかった。けれど今自分が感じているこれが、もしかしたらそうなのかもしれない。これは自分が「霊的」に成長した証なのだろうか。
 このような快感が「霊的成熟」によってもたらされるのだとしたら、なんと勿体ないことをしてきたのだろう。もっと真剣に「霊的成長」に取り組むべきだった。・・・そう思うくらいの心地よさだった。
 キマジメくんがそんな恍惚の中を漂っている最中に、周囲は徐々にトーンダウンしていった。そして、会堂は完全なる静寂に包まれた。誰も何の音も発しない。じっと息を飲んで、次に何が起こるのかと身構えている、そんな気配。その向こうにかすかな高音が漂っている気がした。けれど、ただの耳鳴りだったかもしれない。
 キマジメくんは微動だにしなかった。両手を広げ、目を閉じ、ひたすら天を仰いだ。まわりの人々がどうしているのかわからない。もしかしたら自分に奇異の眼差しが向けられているかもしれない。しかし、そんな心配は一瞬よぎっただけで、すぐに過ぎ去った。その時のキマジメくんには周囲の反応などどうでも良かったし、少しも気にならなかった。
「おー主、全能なる主、万軍の、聖なる主よ・・・」
 静寂を破り、溝田牧師の声が響いた。キマジメくんの脳裏に、天の大軍勢の中心に座す神の姿が見えた気がした。どこまでも広がる光の海原を、大群衆が埋め尽くしている。その中心に、光り輝く主の御姿があるのだ。厳かな光景だった。どんな聖画も、どんな教会美術もその荘厳さには敵わない。そんな神々しい光景が、キマジメくんの想像の中に広がった。
 そしてその神が今にも大号令を下すのではないか、大軍勢が鬨の声を上げて動き出すのではないか、天が大きく揺れ動いて稲妻が鳴り響くのではないか、と妄想した(しかしキマジメくん自身には、それらがものすごくリアルに感じられた)。
 溝田牧師はさらに続けた。
「今、万軍の主がこう言われる。教会よ、目覚めなさい。その閉じた霊の目を、今、大きく開きなさい! アウェイク、チャーチ、アウェイク!」
 会衆が「アーメン」と答えた。やはりカンカク姉妹の声が一番大きかった。姉妹は肩を揺らして、すすり泣いている。
 溝田牧師が繰り返した。「アウェイク、チャーチ、アウェイク!」
 また大きな「アーメン」が起こる。さっきより大きい。
「アウェイク、チャーチ、アウェイク!」また溝田牧師。
 さらに大きいアーメンが起こったが、今度はカンカク姉妹が「アウェイク、チャーチ、アウェイク!」と繰り返した。するとそれが呼び水となって、会衆全体が「アウェイク、チャーチ、アウェイク!」と連呼しだすのだった。

「アウェイク、チャーチ、アウェイク!」

 すぐにその台詞の大合唱となり、また楽器の演奏が始まった。ギターが鳴き、ドラムが吠える。会堂は再び大音量の洪水となる。
 もうキマジメくんは何がなんだかわからなくなって、叫び出した。しかし自分でも何を叫んでいるのか、何を言っているのかわからなかった(もしかしたら「異言」だったかもしれない、とキマジメくんは後から思い返すのだった)。
 そしていつしか、会衆と一緒になってキマジメくんも「アウェイク、チャーチ、アウェイク!」と合唱していた。
 もう何回言ったかわからない。果てしなく繰り返されたように思えた。高揚感が胸を突き破って飛び出してきそうだった。そして自分という存在が弾けてどこかに消えてなくなり、この会堂中を満たすうねりと一体化して、そのまま主の御許に行けるのではないか・・・とさえ思えた。
 キマジメくんは、間違いなく「霊的エクスタシー」の只中にいた。(続く)

――――――――――――――――――――――――――――――――
・この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。
・この小説は不定期連載です。
――――――――――――――――――――――――――――――――

10 件のコメント:

  1. 霊的エクスタシー?他に人から見れば、霊的マスタべーション(自己満足)の世界でしょ。

    返信削除
    返信
    1. まさにおっしゃる通りですね。
      なんでも「霊的」ってつければいいと思っているような(笑)

      削除
  2. 何でいきなり英語になるんだか(笑)
    海外かぶれの牧師&教会あるあるですね。
    Fuck

    返信削除
    返信
    1. やたら英語を使いますよね。なんでも横文字にすればカッコイイとか思っているんじゃないでしょうか(笑)

      削除
  3. 「霊的エクスタシー」というか、神との合一といった神秘体験は確かにあります。

    この一体感は実際に宗教を体験した人でないとわからない世界でしょう。

    外から研究しているだけでは理解できないものでしょうが、この体験が教祖を通して得られるものなのか、集団心理的なものなのか、個人的に得られるものなのか、そこが大事ですね。

    返信削除
    返信
    1. 神秘体験の有無も大切かもしれませんが、そのものが目的となった信仰生活というのに、私は違和感を覚えますね。

      削除
    2. 何のために神は霊的エクスタシーを与えるのだろうか?
      目的は?実は?私は神からなのか、他のものからなのか実をみて判断することにしている。意味なくただ彼らを喜ばすために霊的エクスタシーを与えるのだろうか?根拠は?誰か聖書的に教えてくれ。。。感覚とか思いとかは勘弁してほしい。聖書を聖書で証明してほしい。人の思いではなく、神というのを知りたいと思っている。

      削除
    3. 「宗教的恍惚感」でしたら、神様と関係なく感じることができますね。人の勝手な思い込みによるものですが。

      削除
  4. 今回のキマジメ君を読んでいたら、初めて都会に出てきて好きなアーティストのliveに行った時の事を心の底から思い出しました(笑)
    ここからは私の経験なんですが、音楽が好きで、音の世界にのまれて行くと「ど~にでもなれ!」は本当にあったなと思います。周りに沢山人がいるのに一人の様な。トランス状態。無敵みたいな。

    そして帰りに歌舞伎町を汗ビショビショになってトボトボ歩きながら「何やってんだ…。」と思いつつ、楽しくて辞めらんないみたいな(笑)

    だからか、動画等で教会で盛り上がってる様子を見ると気持ちはわかる…。って思ってしまいます。
    でもやっぱり違うんだよなぁ~って言う風にも思います。

    返信削除
    返信
    1. メビウスさんはライブにハマっていた時期があったのですね。汗だくになって歌舞伎町をとぼとぼ歩く、という画がすごく強烈でした(笑)。

      私のまわりにもバンドにハマっている人が何人かいます。皆楽しくて楽しくて、それが目当てで毎日働いているんだとか言っています。グッズも沢山買ったりして。
      ちょっと理解できないんですけれど、それだけ夢中になれるものがあるのは幸せなのかも、とか思いながら話を聞いていますね(笑)。

      削除