コインチェックの衝撃 / 什一献金を巡って / 賢さとは

2018年2月2日金曜日

「什一献金」問題 時事問題

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コインチェックの衝撃

 ビットコイン取引所の1つ、コインチェックがヤバいことになりましたね。
 出川さんがCMをするようになって知名度が上がった矢先のことです。利用者が増えたところを狙われた感じじゃないでしょうか。以前から(コインチェックは)セキュリティが甘いと指摘されていたので、あーやっぱりという感はありますが。

 こういう事件が起こると当然かもしれませんが、「だから仮想通貨なんて手を出しちゃいけないんだ」という論調になりますね。もちろん仮想通貨は値動きが激しすぎるし、今回のような件もあるし、危険なのは間違いありません。
 でもビットコインに限らずですが、こういうのは「広く認知された時点で旨味をなくす」という例に漏れない話だとも思います。

 私もビットコインを少し持っています(本当に少しですが)。海外への支払いなどに便利です。だからちょっとわかるのですが、「儲ける」という意味で本当に旨味があったのは、2017年の初めくらいまでですね。まだ利用者が少なかった頃です。具体的な人数はわかりませんが、その頃からCMなど増え、利用者が増えた感じがします。
 それ以降は「これは危険だな」という感覚があり、私も積極的に取引しなくなりました。

 広く認知されると、おいしい話もおいしくなくなります。
 だから「仮想通貨に手を出してはいけない」と言うより、「仮想通貨で稼げる時期はもう過ぎた」と言う方が私はシックリきます。もちろん今後どうなるかはわかりませんが。

投資の基本のキは

 聞くと、コインチェックに全財産を投じてしまったという人もいるようです。 そもそもですが、投資は当面の生活費を残した余剰金で行うものです。「ビットコインなら絶対大きく稼げる」と信じてしまったのでしょうか。全財産をかけるなど、よっぽどその方面の知識や戦略がなければやってはいけないことですが(その方面の知識や戦略があるなら、全財産はかけないと思いますが)。

 それはともかく、今回の件で私が連想した聖書箇所は、マタイの福音書10章16節でした。
へびのように賢く、はとのように素直であれ

 おいしそうな話に騙されるのでなく、できるだけいろいろ学んで知識を得て、賢くありたいものです。へびが本当に賢いかどうかは、よくわかりませんが。

什一献金をめぐって・・・

 話を変えます。 前回は教会の「什一献金」の是非を考える記事を書きましたが、いろいろご意見いただきました(ありがとうございます)。やはり、お金は興味関心が集まる話題のようです。

 什一献金はご存知の通り、賛成派もいれば反対派もいます。

 私は什一がダメだと言っているのでなく、それは聖書の解釈次第で変わるものだ、と言っているに過ぎません。事実、什一を集める教会もあれば、集めない教会もあります。それぞれがそれぞれの解釈に従っているのでしょう。どれが良いか悪いかの話ではありません。

 ただ私が問題にしているのは、「聖書は什一献金を信徒の義務だと言っている。だから捧げなければならない」と断言してしまうことです。特に信じて日の浅い信徒は、そう言われたら信じてしまいます。本当は多様な考え方があるのに、「これだけが唯一正しい道だ」「この道でなければ本当の救いではない」と教えられてしまうと、信徒の側に選択肢はありません。
 そういうのはほとんど詐欺だと、私は言っているのです。そうではありませんか。

 そういう詐欺が横行する教会では、信徒はいくら生活に困窮しても、什一を払い続けなければなりません。そして苦しい生活を強いられます。でもそれを「信仰」「主のため」と思って耐えています。哀れとしか言いようがありません。

 キリストは隣人愛を説いているはずですが、そういう教会に、信徒を愛する愛はあるのでしょうか。ないと私は思いますが。

 では、生活困窮者の什一は免除しよう、という話になるでしょうか。ではその「困窮の基準」はどうやって決めますか。余裕はないけど什一を払っている、という人たちはどうなりますか。そのへんの公平性を保てますか。
 また困窮を理由に免除していいなら、「聖書は什一を捧げるよう命じている」という持論はどうなりますか。なぜ命じられているのに、勝手に免除するのですか。

 だから私は前回の記事でも書いたのですが、現在の什一献金は、「教会を支えるためのシステム」となっているのです。だから信仰というより教会政治の話なんだ、と書いたわけですね。

 そもそもの話ですが、キリスト教の発展は政治と切り離せません。歴史を学べばそれがわかります。つまりキリスト教は信仰によって広まったのでなく、政治に利用されて広まったのです。

 そしてその歴史の流れを踏まえるなら、什一献金が教会維持のシステムに組み込まれているとしても、何ら不思議ではありません。つまり聖書がどう言っているかでなく、教会がそれを必要としているから、という話なのです。

 そういうことをちゃんと理解しているなら、あとは個人個人の選択だと私は思います。什一献金を払うのが信仰だと思う人はそうしたらいいです。他者にその価値観を押し付けない限りは。

賢さとは・・・

 また話を戻します。
 コインチェックの事件をキッカケに、「仮想通貨はダメだ」「ビットコインは危ない」という声が大きくなっていますけれど、コインチェック自体は被害者であり、何もクライアントを騙そうとしたわけではない、という点は忘れてはならないと思います。

 それより、ブロガーのちきりんさんも言っていますが、破綻を知りながらクライアントからお金だけ騙し取った「てるみクラブ」とか「はれのひ」とかの方が、よっぽど悪意があって危険だと私も思います。企業倫理がどうかしてしまっているのではないでしょうか。その意味では予約先行、先払いの商品には今後とも注意が必要ですね。
 そのあたりも「賢さ」の1つだと、私は思います。

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