2017年10月20日金曜日

キマジメくんのクリスチャン生活 第63話

 しばらく間があって後、溝田牧師が突然笑い出した。ワハハと声をあげて、いかにも楽しそうに。まわりの皆はどう反応すべきか困ったのだろう、互いに顔を見合わせている。が、徐々に笑いが広がっていく。そして結局皆が笑い出すのだった。
「タタカイ兄弟、君は、君は本当にねえ・・・」溝田牧師は笑いすぎて息も絶え絶えだ。「君は、私のことを神、神様か何かだとでも、思っているのかい?」
 そしてまたワハハと笑い出す。全員が笑っている。笑っていないのはキマジメくんとタタカイ兄弟くらいだ。
「どういうことですか?」
 明らかに不満な様子のタタカイ兄弟が大きな声で言う。
「どうもこうもないだろう!」牧師はまだ笑っている。「なぜ癒しが起こらなかったのか? なぜ霊的な激動が起こったのか? そんなこと私にわかるわけないだろう? 全ては神の御心なんだよ、タタカイ兄弟。なすも神、なさぬも神だ。それでも信仰をもって受け止めるのが、我々神のしもべの務めじゃないのかね? え?」
 一瞬真面目な顔に戻った牧師だったが、また頰が緩んだ。「それなのに君ときたら、なぜですか、なぜですかって・・・」
 堪え切れなくなったのだろう、溝田牧師はまた盛大に笑った。それにつられて皆の笑い声も大きくなる。
「いい加減にしたまえ、タタカイ兄弟。君は将来、お父上の後を継いで牧師になる身だろう」溝田牧師は今度こそ真顔になって言った。「そんな子供じみたこと言ってないで、もっと霊の目が開かれるように祈りなさい。でないと霊的なことがわからない、世俗的な牧師になってしまうぞ」
「まあまあ、タタカイ兄弟はまだまだ若いですからね」
 そう言ったのは溝田牧師の隣に座るリッチ兄弟だ。彼は今回の集会で何かの奉仕をしたわけではないけれど、なぜか反省会に参加していた。理由は誰も聞けない。
「でもお若いのに立派ですね」他の誰かがそう言った。それをキッカケに、そうだそうだ、タタカイ兄弟はまだ若いんだ、だからわからなくても仕方ないんだ、温かく見守るべきなんだ、という声が次々とかかった。そしてそういう雰囲気になった。まるきり子供扱いだ(とキマジメくんは思った)。これではタタカイ兄弟が何を言っても「子供の戯言」みたいに受け取られてしまう。
 タタカイ兄弟自身もそれがわかったようで、苦い顔で押し黙ってしまった。唇を尖らせて、机の下で拳を固く握っている。キマジメくんは見ていられなかった。苦々しい気分なのはキマジメくんも同じだった。タタカイ兄弟が自分自身のように見えた。彼ほど堂々と異を唱えることは自分にはできなかったけれど。
 結局メボ・ルンド聖会に関しては「素晴らしかった」「恵まれた」「また来年もやろう」という話になり、反省会は終わった。話題は早くも次に移った。
「ところでこのところ、強く導かれていることがあります」溝田牧師は相変わらず脚を組んでふんぞり返ったまま言う。指で机をコツコツ叩いている。「それは霊の戦いです。やはりこの地域を霊的に解放する必要があります。今回の集会でもそう痛感しましたね、神の御業が妨げられていると。この地域が解放されなければ、私たちは神の力強い働きを見ることができません。神が御業を現したいと願っているにもかかわらず」
 例によってアーメンという応答が起こる。
 その後も溝田牧師の話が延々と続いた。諸外国が「霊の戦い」でどれだけ解放されたのか、諸外国でどんなすごい御業が起きているのか、日本がどれだけ「閉ざされて」いるのか、日本の閉塞感の正体がいったい何なのか、といった話だった。キマジメくんは聞きながら揺れていた。メボ・ルンド聖会の話はどうも腑に落ちなかったけれど、「霊の戦い」によって状況が変わっていくのなら、辻褄が合うような気もした。神様が正しいのは間違いないし、自分たち人間には全てのことはわからないという溝田牧師の話も、間違いではないと思う。
(やはり自分が未熟だから、こんなふうに感じてしまうのだろうか)
 キマジメくんの思考は、いつも通りそこに行き着くのだった。
 見るとタタカイ兄弟は熱心にメモを取っている。彼は基本的に真面目な人なのだ。そして熱心なのだ。疑問に思えば声を上げるし、おかしいと思えばおかしいと言う。でも神様のために生きたいと願っているのだ。
 キマジメくんは自分のことが恥ずかしく思えた。タタカイ兄弟のようにはっきり反論することができないし、気持ちを切り替えて話を聞くこともできない。いつまでもウジウジと考えてしまう。
(これではダメだ)
 キマジメくんはいろいろ考えるのをやめて、溝田牧師の話に集中しようと思った。そしてメモを取りはじめた。
「といわけで、この教会はしばらくの間、霊の戦いに専心することにします。実は役員会でも全会一致でその結論に達しています」
 長い話の末、溝田牧師はそう結論づけた。「とりあえず明日の夜、7時に全員集まるようにして下さい。詳しいことはそこで話します。今日ここにいない兄弟姉妹にも皆で伝え合うように」
「先生、24時間の祈りはどうしますか」
 誰かがそう言った。「24時間の祈り」とは、溝田牧師のイスラエル旅行以来続いていた活動だ。まだ24時間体制にはなっていないけれど、今も毎晩会堂で行われている。
「ああ、あれね。しばらく休みましょう」牧師は即決した。「休むと言うか、形を変えましょう。会堂で祈るのでなく、外に出て行って霊の戦いをするのです。この地域のために。主がそう願っておられるのですから、私たちは従うのみです。そうではありませんか?」
 アーメン、という応答が起こる。
 しかし「24時間の祈り」は、きたるべく終末に向けた準備として「欠かせない」と牧師が言っていたはずだ。それをこんな簡単に休んでいいのだろうか。キマジメくんは手を挙げてそのことを尋ねようかと思った。しかし先ほどの牧師たちの大笑いを思い出すと、それも躊躇われた。タタカイ兄弟の方をチラッと見たが、彼は特に気にした様子もなく、まだメモを取っていた。
 いずれにせよ、教会はまた忙しくなりそうだった。(続く)

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・この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。
・この小説は不定期連載です。
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10 件のコメント:

  1. 基本的にマジメな人が多いんですよ。教会って。そして、そういう人達がダマされるんですね。自分もそうでした。
    今は、キリスト教系の全てに対して疑いの目をもってますからね(笑)
    Fuck

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    1. おっしゃる通りだと思います。真面目な人だから、嵌ると抜け出せなくなる、という面がありますね。ちょっと不真面目なくらいがちょうどいいのかもしれません笑

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  2. この牧師の反論は詭弁ですね。
    ただ、論理が破綻していようが、
    権力を握っている者が言うことには、同意する以外ない。
    そういう全体主義的な場で違和感を感じたら、
    自分の感覚を信じて、自然消滅で姿を消すことなどで、身を守らないといけませんね。
    さあ、どうなるキマジメ君。

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    1. 論理の破綻を破綻としない(させない)のが、この手の教祖の特徴だと思いますね。自分はいつも正しく、敵対する者は誰であれ悪い、という構図に持って行くのも巧妙で、こういう教祖のは敵に回すと大変だと思います。実際私が知っているカルト牧師もそうで、もう本当に巧妙です。

      ともあれキマジメくんの今後に期待して頂いて嬉しいです。今後彼がどうなっていくのか、乞うご期待(?)です笑

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  3. しかしこの教祖様は、その時々で「神」になったり「凡夫」になったり。要するに自分の都合によってキャラクターを使い分けているだけじゃないですか。
    信者が自分の言うことを聞いてもらわないといけないと判断したときは
    「わしは神じゃ~。わしに逆らうことは神に逆らうことじゃ~」となり
    この場合は神キャラクターを演ずるとまずいと判断したときは
    「自分は神ではなく凡夫ですからわかりまっしぇ~ん」となるのですよ。
    こうやって人を簡単にだますことができて、しかも金をしこたま巻き上げることができるわけですから、まじめに堅気の職業につこうなんて思うはずがないですよね。
    新興宗教の教祖なんてやくざな稼業につきたがる人がいくらでも出てくるはずだわこりゃ。

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    1. 実際こういう人はいますね。沖縄で終末とか携挙とかやたら言っている某預言者(?)は、「これは神からのメッセージです」とよく言いますが、言った通りのことが起こらないと、「なぜだか私にはわかりません」と言い逃れします。あれ、溝田牧師と同じですね!笑

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  4. 疑似パウロ書簡ではなくて、真正パウロ書簡、パウロが書いたのは間違いないとされている書簡を読むと、ローマ書、コリント書、ガラテア書などを読むと、パウロはまさしく、この手の怪しい牧師の元祖の側面があることが分かりますね。人間的だとも言えますが、パウロは嫁さんの分も信者の献金で生活させてもらっているので、うらやましいとか、アポロとかいうやつも伝導しているが、俺の方が偉いのだとか、俺の言うことはキリストの言うことと同じだとか、読めば読むほど実に面白いキャラクター、教祖だと言うことが分かりますね。この牧師も自分はキリストだと考えているのでしょうね。

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    1. 「パウロ教」なんていう表現もありますから、同じ聖書を読むにしても注意が必要ですね。私個人はキリストご自身の言葉が一番大切ではないかなと考えています。だから四福音書に重点を置いた方が、クリスチャンとしてバランスが良いのではないかと考えます。もちろん他の書簡も重要なのは間違いありませんが。

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  5. 嫁さんの分ものまえに、ペテロはという一文が抜けていました。パウロは独身主義者?なので、信者はもうすぐ最後の審判が近いから結婚なんかするなとコリント書で言ったことをコリントの信者から批判されて、どうしても我慢できなければしてもよいと、返答していますね。自分はテントつくりで生活費を稼いでいるのに、ペテロの奴は自分の嫁さんの分まで信徒の献金で生活させてもらっている、うらやましい、と言っていますね。ペテロに対しては、あいつはユダヤ人の前ではユダヤ人面をして、ユダヤ人のキリスト教徒以外とは付き合わないと言っているのに、ユダヤ人以外のキリスト教徒とも付き合っているのは、言っていることとしていることと違うではないかと批判していますね。こういうところが、実に人間的で好きですね。

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    1. パウロは何でもハッキリものを言うタイプだったようですね。正直だから付き合いやすいのか、あるいは付き合いにくいのか、人によって分かれそうです笑

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