クリスチャン流、パワハラとの向き合い方

2017年6月27日火曜日

クリスチャンのパーソナリティの問題

t f B! P L
・ストレスのせい?

少し前、某女性議員の秘書に対する暴言暴行が発覚しました。
 おそらく継続的に被害に遭っていただろう男性秘書が、ボイスレコーダーで証拠を保存し、公開したのです。それまでに辞めた秘書が百人近くいたそうなので、その議員の暴言暴行は恒常的だったと推測されます。

 その証拠音声はイロイロなところで流されましたから、聴いた人も多いと思います。なかなか衝撃的でしたね。

 謝罪行脚の最中の出来事だったようで、「ストレスが高じていた」というのが今回の暴言暴行の理由とされているようです。それは間違いないんじゃないかと私は思います。大変なストレスだからって部下に暴言暴行していいわけはない、と言われて当然な理由ですけれど。
 要は、こういうことです。

 人は強いストレスに晒されると、本性を現す。

 前にも書いたことがありますが、ある宣教師が、他の牧師たちと議論になった時、激昂して怒鳴り散らしました。ちょっとここでは書けないような内容の罵り方でした。宣教師は後から「あれは義憤だった。神による怒りだった」みたいな言い訳をしましたが、結局謝罪の一言もなかったので、驚きましたが。
 けれどその宣教師は普段から話し合いの場で声を荒げることが多かったので、たぶん義憤とか神とか関係なく、短気な性格なのだと思います。それも単に短気なだけでなく、怒りをコントロールできないタイプの。
 要はそれが本性で、ストレスが高じて表面化した、ということだと思います。

 だから件の女性議員にしてもその宣教師にしても、一時的なストレスで暴言や暴行が「たまたま」出てしまった、ということでなく、もともと「ストレスが高じると暴言暴行に走る人」なのだと考えられます。もちろん「ストレスが高じた→即、暴言暴力」というわけではありません。ストレスが高じ、かつ「暴言暴行しても大丈夫な相手」が目の前にいると、そういう行動に出ると考えられます。

・べつに珍しくないパワハラ

 この件を受けて、別の議員が「こんなの珍しくない」みたいな発言をしています。それはそれで問題だろうと思うのですが、まあ事実そうなのだろうとも思います。この手のパワハラは、なんの統計データもないですが、おそらく多いと推測されます。

 キリスト教界をみてみても、司牧によるパワハラは、歴史的に度々認められてきました。
 最近の話だと、カトリック教会の司祭による数々のセクハラが、ボストンの新聞社によってスクープされました(映画『スポットライト』で描かれています)。日本だと聖神中央教会の牧師による連続女児強姦事件が発覚しています。
 またそこまで大きくない、日の目を見ないケースも、数多くあると思います。

 身近なところでも、聖霊派・福音派の(一部の)教会のパワハラ話はけっこう聞きます。私の知っている牧師にも、若い信徒に対する暴言なんて日常茶飯事なのがいます。なんなら「説教してやってるんだ」くらいの勢いです。悪いなんてちっとも思っていないようです。

 笑えない笑い話ですが、ある礼拝のリハーサル中のことです。信徒が思い通りに動かなくて、牧師が激昂してしばらく怒鳴り散らしていました。信徒はみな静まり返って下を向いています。ところでその礼拝はネット配信されることになっていましたが、スタッフの手違いで、リハーサル中から既に配信されていました。当然牧師の怒声もネットに晒されていたはずです(リアルタイムでなければ見られなかったでしょうが)。
 そのことに気づいた牧師が、急に口調を緩めたのが、何とも情けなかったですね。
「なんだよ〜、これじゃあ僕が超厳しい人みたいに思われちゃうじゃんか〜」とかなんとか言い訳をしていましたが、もう絶句するしかありませんでした。

 要は、パワハラをする人間は、パワハラをしても大丈夫だと思われるTPOをわきまえているということです。件の女性議員だって、その車内の様子が全国ネットで流されるとわかっていたら、暴言どころか箴言の一つでも語ったことでしょう。抵抗できない弱い哀れな秘書一人だった(と思った)から、やりたい放題できたのです。

 だから優しそうな人とか、素晴らしい人格者とかに見える人が、その外見のままの人物かどうかは、残念ながらわからないのです。キリスト教の司牧だからって、簡単に信用してはいけません。

・もしパワハラに遭ったら

 会社の上司とか教会の司牧とかがそのようなパワハラ人間だったら、それに従う人々は大変です。TPOさえ揃えばパワハラされかねませんから。
 可能ならば、そういう環境からは早々に離れることをお勧めします。耐えて頑張ったって、ほとんど何も解決しません。こういう場合に「祈って待てば大丈夫です」みたいな無責任な助言をする人がいますが、パワハラを助長するだけです。

 逆にパワハラに立ち向かおう、戦おう、と考えるのは立派なことですが、あまりお勧めしません。教会内で牧師に逆らっても、牧師の味方が沢山いるので、余計に辛くなるだけですから。
 またどれだけ戦ったところで、牧師のパワハラ体質が変わることはありません。やるなら法的措置くらいになるでしょう。でも教会内のパワハラは証明が難しいでしょうから、これもまた困難な道になります。それよりは早々に離れた方が、ずっとラクかもしれません。

 一つの教会に一生所属しなければならない、なんて義務はありません。一部の教会は「人にはそれぞれ植えられるべき教会がある」などと主張して信徒を囲い込もうとしますが、そんな根拠は聖書にはありません。そのように(勝手に)解釈しているだけです。だから牧師の態度があまりに理不尽だと感じるなら、さっさと離れた方が良いです。なにも遠慮することはありません。自分自身を守ることが先決です。教会を離れたら神の怒りを買うとか、そんなことはありません。

・クリスチャンの強み

 パワハラ牧師の話ばかりになりましたが、これは残念ながら牧師だけの話ではありません。先輩信徒が後輩信徒をイジメることもあれば、教会学校の先生が子供たちをイジメることもあります。
 要は、自分より弱い存在がいて、自分がその存在を自由に扱える立場にあると、人はパワハラに走りやすくなる、ということだと思います。皆が皆そうだとは思いませんけれど。

 しかしクリスチャンにとって朗報は、「主がいつも見ておられる」という感覚を持てることです。神様がいつも自分と共にいて、自分のすることを見ている、と考えるならば、弱い者イジメに歯止めがかかるかもしれません。また「小さい者の一人にしたのは私にしたことだ」という言葉を思い出すなら、相手を神様のように扱うことができるかもしれません。もちろんそういう感覚だけで、怒りや暴力の衝動を完全にコントロールできるとは思いませんが、一つの助けにはなると思います。

 また私たちは、学ぶことができます。先人たちの偉業に学ぶこともできますし、その失敗を反面教師とすることもできます。
 件の女性議員の顛末は、私たちに大切な教訓を示していると思います。その教訓をキャッチできるかどうかは、若干大袈裟な言い方かもしれませんが、私たちの将来を左右することになるかもしれません。

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