「目覚めよ!」という寝言について

2015年9月9日水曜日

「啓示」に関する問題

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 したり顔で「目覚めよ!」と仰る人がいる。
 たいてい信仰歴(だけ)は長い。ある程度(教会内で)発言力があり、注目される存在である。だからだいたい偉そうに会衆を指差して、「目覚めなさい!」とか「いつまで眠っているのですか?」とか叫ぶ。言われた方はへへーッって感じになる。それだけ見ると、なんかすごく「霊的」で、先見の明があって、指導力がありそうな人である。

 そういう人たちがある程度能力的に高いのは否定しない。たとえば影響力のある話し方ができるとか、カリスマ的な魅力があるとか、特殊な技能があって皆に必要とされるとか、そういう何か秀でたものを彼らは持っている。だからこそ(教会内で)発言力を持つに至っているのだ。

 けれど冷静に考えると、それらの能力はべつに「霊的」とは関係ない。信仰とも聖書とも関係ない。たとえば一般に成功している経営者らはカリスマ的だったりするけれど、彼らが「霊的」だと言われることはない。むしろその対極にある存在であろう。

 だから教会内で発言力があるから、影響力があるから、イコール「霊的に特別な存在」とはならない。彼ら自身が上記のように「目覚めよ!」と言うから「霊的」な感じがするかもしれないけれど、それはあくまで、彼ら自身がそう言っているに過ぎない。

 では彼らは間違っているのか? と聞かれると、その発言だけを見て間違っていると証明することは難しい。
 たとえば「今日本は目覚めなければならない時期に来ている」とか誰かが言ったとする。そこで「目覚めなきゃ」と思うのは短絡的すぎで、ちゃんとその内容を考えなければならない。すると、それ自体がとても抽象的で曖昧で、具体的に何に対して目覚めなければならないのか、どうしたら目覚められるのか、あるいは本当にそれは正しいのか、といった点で何一つ明確でないことに気づく。けれど曖昧すぎて、間違っていると言うこともできない。
 もちろん間違っていると証明できないと同時に、正しいと証明することもできない。結局のところ曖昧すぎて何とも言えないのである。

 しかしそういう彼らが束になると、その間違いが明らかになる。

 だいたい人に「目覚めよ!」とか言う人は、1つの教会に少数しかいない。教会中で大勢が「目覚めよ」とか言い出したら(それはそれで面白そうだけれど)混乱するだけだし、そこまで自信を持って言えて皆から支持される人も多くはないからだ。だから少数の、あるいは一人のしたり顔の人が「祈っている中で今主が求めておられることが語られた」とか言って、「だから皆の者、目覚めなさい!」みたいなスペクタクル映画なノリになるのである。
  言われた方は、「あーあの人が言うんだからそうなんだろう」みたいなノリで、「アーメン」することになる。すると1人の人が言い出した「主からの啓示」が、教会全体の啓示となる。そうなるともう止まらない。

 と、いうようなことが各教会内で起こっている。もちろん全ての教会でではない。たぶんごく一部の、聖霊派とかカリスマ派とかペンテコステ派とか呼ばれる教会内での話だ。

 それで、たとえば東京のA教会が「主からの啓示」ということでこんなことを言う。「日本は霊的に東西に分断されている。両者を和解させるのがこの教会の使命だ」
 同時に名古屋のB教会がこんなことを言う。「ここは日本のヘソにあたる教会だ。この教会から日本はリバイバルしていく」
 また同時に九州のC教会がこんなことを言う。「ここは日本宣教が始まった歴史ある御心の地だ。日本はここから祝福されていく」

 で、各教会内では「霊的な人が言うんだから」というだけの理由で、それぞれの主張が信じられている。そしてそれにしたがって教会が動いていく。けれどこうやって俯瞰してみると、それぞれの教会が「自分たちこそ中心だ」「自分たちこそ日本を救う」みたいなことを言っているのがわかる。けれどそれらが全部神様から本当に語られたことだとしたら、神様が嘘をついていることになる。なぜなら物事に中心は1つしかないはずで、沢山あったらそれは中心ではないからだ。また神様がそれぞれの教会に違ったことを教えていることになるからだ。

 わかりやすくするために、このケースを旧約聖書にあてはめてみて、たとえばイスラエルで最初の王が選ばれた時の話を見てみる。このとき、主からの啓示でサウルが最初の王に選ばれた。預言者サムエルがそう語られたからだ。
 けれどもしこの時、たとえば12部族にそれぞれ預言者みたいな人がいたとする。それでその12人の預言者がそれぞれの部族からそれぞれ違う人を立てて「この人こそ主から語られた王だ」とか言ったら、その中の間違いなく11人は嘘をついてることになる。真実を言っているのは1人だけか、あるいは全員が適当な嘘をついているか、どちらかしかない。

 だから日本の各教会内でまことしやかに信じられていることが本当に正しいかどうか、そういう視点で考えてみるべきだと思う。でも上記の通り、その「目覚めよ!」はほとんどが嘘なので、まともに聞くべきでない。あるいは嘘までいかなくても、その人個人の気持ちとか情熱とか、そういうものが多分に混ざっているのは知っておくべきだ。

 でもそういう理屈を考えるまでもなく、他人を偉そうに指差して上目線で「目覚めなさい」とか言っている時点で、その人にこそ目覚めなければならない部分があるのは間違いない。それがどういう部分かはあえて言わないけれど。

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