教会運営と献金にまつわるアレコレ

2015年6月26日金曜日

「献金」の問題

t f B! P L
 先日、こちらの記事のコメント欄が「献金」の話題で少し盛り上がった。興味深かったので、それに乗っかって「献金」について書いてみたい。
 
 ただいわゆる「什一献金」については今までも書いてきたので、ここではそれも含めた「教会への献金」について考えてみる。

・教会運営側の事情
 
 カトリックの仕組みはよく知らないけれど、プロテスタントの教会はたぶん大半が信徒の献金で成り立っている。収益事業が儲かっている教会も中にはあるだろうけれど、かと言って献金を集めないということはない(教義的に考えても、献金をしない教会はおそらくない)。

 だから「献金額=教会の懐具合」という図式は大概の教会に当てはまる。
 
 教会の運営主体は牧師だったり役員会だったりするけれど、ひっくるめて運営側としては、献金額がすごく重要になる。たぶん毎月、難しい顔で収支計算している人が多いのではないか。もちろん教会だから「信仰」が重要なのだけれど、実際に教会を運営するには家賃とか光熱費とか印刷代とか食事代とか、イロイロ必要になる。単に「信仰さえあれば」とはならない訳だ。
 
 たとえば「主が必要を満たして下さる」と言うのは全うな信仰の姿勢だと思うけれど、毎月の献金額の変動が激しく、自転車操業的な経営になっているとしたら、誰だって不安になる。それで献金額を安定させようとか増やそうとか考えることになる。でないと教会として破綻してしまうかもしれない。
 
 什一献金制度が多くの教会で支持されるのは、そういう状況もあってのことだと私は思う。信徒全員が収入の一割をきっちり納めていれば献金額はほぼ一定になるはずだし、予算を立てやすくなる。運営側の精神衛生も守られる(かと言って什一献金が絶対正しいかというのはまた別の話)。
 
 だから「献金は自由です」という台詞は、運営側としてはなかなか言い出せないのが本音だろう。教会運営で苦労してればいるほど、またそれが長ければ長いほどそうだ。

・運営側のズレ
 
 ある駆け出しの牧師が教会を開拓し、何年か経ってある程度の規模になった。当初、牧師は「献金は個人の自由です」みたいなことを言っていた。
 けれど規模が大きくなるにつれ、少しずつその言動が変わっていった。

 数年後。
「〇〇の必要のために献金を募ります」(献金の依頼)
 また数年後。
「主が××を求めておられます。それを満たすのはあなたたち以外いません」(献金の強要)
 そのまた数年後。
「今私たちがこれを満たさねば大変なことになる。借金してでも満たしなさい」(献金の命令)

 こうやって箇条書きにしてみると、その牧師の動機や信仰のズレがわかる。けれど長年いる信徒はそれをズレとは思わない。むしろ牧師が成長したとか、教会が成長したとか、真理が開かれたとか、そんなふうに都合よく考える(それ自体牧師の誘導なのだけれど)。

 でも結果的に、信徒の支出は以前より明らかに増えている。本当に教会が発展し大きくなったなら、そして信仰に進んだなら、一信徒が教会に支払うお金が増えるというのはおかしな話なのだけれど。

 もちろんこれは一例であり、特殊なケースかもしれない。けれど「特殊」にしてはけっこう聞く話でもある。いやはや。

・運営側のゴールとは

 教会を大きく発展させた牧師(あるいは牧師夫人)が、かつての苦労自慢・貧乏自慢をすることがある。
「開拓当初は本当にお金がなくて、よく掛け持ちのアルバイトをしたものです・・・」
「具なしの味噌汁しか作れない時があって・・・」
「子供の給食費を捻出するために1週間くらい断食したことがあります・・・」
「会堂家賃を下げてもらうため、オーナーさんに土下座しましたよ・・・」

 そういう貧乏話が結果的に今の「教会の華々しい繁栄」につながって、ハレルヤ、主は素晴らしい、というオチになることが多い。そしてたとえば「具なし味噌汁」というオリジナル賛美(?)を牧師夫人が涙ながらに歌ったりする訳だ(もちろん会衆も泣いている。特に婦人たちが)。

 そういう話を聞くと「ああ今はお金があって良かったね」と単純に思ってしまう。そして何となく、教会の完成形はこれだと突き付けられたような感覚になる。けれど、これはけっこう重要な命題を含んでいる。すなわち、教会のゴールとは何か? という命題。

 開拓期は貧乏だったけど、頑張って発展させて経済的にも安定するようになった、というのはいわゆる「教会開拓の成功」と言えるだろう。大変なご苦労の数々があったはずで、そこは本当に尊敬する。
 けれど、じゃあ教会は人数が増えて経済的にも安定することがゴールなのか、そうでない教会は失敗なのか、という話にもなる。そこはよくよく考えてみるべきだと私は思う。もちろん教会会計が安定するのは非常に大切なことだけれど。

 そしてそういうことを考え始めると、じゃあ教会って何なの、という話にもなる。そうなると献金だけの話じゃ済まなくなるので、今回はこのへんでやめておく。あしからず。

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