ブログ3年目に迎えた「変化」について

2015年5月9日土曜日

私事

t f B! P L
 2015年3月で当ブログも3年目に入りました。いつも読んで下さっている皆さん、本当にありがとうございます。また継続的にコメントをいただけて、大変励みになっています。重ねて感謝申し上げます。
 
 当ブログは開始当初から「ほぼ毎日更新」を目指してきました。隔日になった時もありましたが、「ほぼ毎日」と言えるレベルを2年間通してこれたかなと思っています。
 
 ではなぜ「ほぼ毎日」を目指してきたか?
 理由は簡単です。始める時にいろんなブロガーさんの「ブログ心得」みたいなものを読み漁ったところ、「とにかく毎日書け」「ネタがなくても書け」みたいな意見が多かったからです。
 とにかく新参者は数打たなきゃ勝負できない、みたいな話だったので、私は単純に「そうか」と思って書きはじめました。もっとも私はそういう「ブログ心得」を極めようとは思いませんでしたし、いわゆるアルファブロガーになろうとか思ったこともありません。私の書く分野があまりにニッチ過ぎたからです。
 
 長年熱心なクリスチャンだったけれど、教会やら牧師やらにつまずいて、今はそれらに対して問題提起している、というのが私のスタンスであり、分野です。つまり日本人口の1%未満であるクリスチャンの、さらに特殊な境遇の人たちを相手にしたい訳で、これがニッチでなくて何でしょう。
 だからPV1日50万とか、土台無理な話です。デープ・スペクターを目指しているらしい某牧師のブログでさえ1日何千というレベルのようですから。
 
 という訳で初めから、ブロガーとしてああなりたいこうなりたいという夢も希望もなく、とにかく書き始めたのでした。
 それは一つには、この問題をできるだけ多くの人に知ってもらいたい、同じような疑問を持つ人に集まってもらいたい、という思いがあったからです。そのためにはとにかく沢山書く以外にない訳で、だからこその「ほぼ毎日更新」だった訳です。
 
 というのが前置きで、ここから本題。
 
 3年目を迎えたからという訳ではありませんが、当ブログも変化の時季を迎えています。と言っても大袈裟な変化ではありません。単に私個人の時間的余裕がなくなってきた、というだけのことです。だから「ほぼ毎日」は(現状ですと)なかなか難しいです。今も書きたいことはイロイロありますし、時間が空けば書いているのですが。

 ただ幸いなことに、コメントを寄せて下さる方が複数いらっしゃって、話題を膨らませて下さっています。その意味では、毎日記事を更新しない方がいいかもしれません。記事がどんどん更新されると、それだけ話題が古くなってしまうからです。それよりは数日に一度の記事更新で、皆さんに話題を掘り下げていただいた方がいいようにも思います。単に毎日書かないことの言い訳に聞こえるかもしれませんが。

 もちろん書くことが好きですので、余裕があれば毎日でも1日数本でも書くつもりです。そのへんは変わっていません。 今後の状況について何も断言できませんが、書き続ける意思に変化はありません。

 私はよくスタバなどのカフェで勉強したり記事を書いたりしています。家だとゴロゴロしてしまうからです。最近カフェだと、同じようにキーボードを打っている人が多いので励みになります。
 それで疲れた時や書きあぐねた時は、しばらく窓の外の街並みを眺めて過ごします。通り過ぎる人々や変わる信号や風になびく木々や、そんな何やかやを眺めながら、深い海の底で必要な言葉を手探りするような、そんな作業をしている訳です。

 書くことは時には大変ですけれど、案外そういう作業が楽しくもあります。仕事をしているよりも充実感があります。もちろん仕事をした方がお金が入っていいのですが、私にとってこのブログを続けることはプライスレスなところがあります。というかほとんどプライスレスです。ちょっと気取った言い方ですが。

 という訳で繰り返しになりますが、応援して下さっている皆さんに心から感謝申し上げます。そしてこれからも変わらぬご支援をいただければと願ってやみません。どうぞよろしくお願い致します。

fuminaru k

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