【雑記】聖なる渇き・マイナンバー

2015年5月22日金曜日

雑記

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 またまた、最近気になった小ネタをいくつか。

・「聖なる渇き」って何

「聖なる渇き」なる言葉がある。
 聖書にそういう表現は(たしか)ないと思う。だからキリスト教専門用語である。教会によって「霊的渇き」とか、単に「飢え渇き」とか表現するかもしれない。まあどれでも一緒である。

 その言葉に細かい定義があるのかどうか知らないし興味もないけれど、要は「神様を求める心」みたいなものだと思う。

 この言葉は本質的に二元論を含んでいる。つまり神を求めるか、あるいは「この世」を求めるか、という二元論。「聖なる渇き」が神を求める崇高なものであるなら、「俗なる渇き」はいわゆる物欲とか色欲とか、そういう「低俗な」もの。

 そしてクリスチャンなら「聖なる渇き」を持つべきだ、みたいな話になる。「私たちは聖でなければならない」という聖書箇所を引用したりして。
 それはべつに間違っていないけれど、極端な二元論に走るとおかしくなる。

「私は聖なる渇きだけで生きていきます。神様がいてくれたら他に何もいりません」とか自信満々に言うクリスチャンを時々見るけれど、そういう人だって食べたり着たり住んだり、嫌ったり憎んだり悪意を持ったりする訳で、話はそんな単純じゃない。なのに「自分には俗なる渇きなんてありません」みたいに振る舞う。そんなの単なる偽善であろう。

 またそこまで二元論でなくても、「聖なる渇き」とか仰々しく言うのは私は好きじゃない。なんかいかにも自分の「きよさ」をアピールしているように思える。単に「神様を求めます」じゃダメなのかね。

 それに、「神様を求める心」自体が「聖なる渇き」なのはいいとして、その心を持っている人自身が「きよい」ということにはならない。
 人間、そんなにきよくないですよね?
 それ、自分自身が一番よくわかってますよね?
 と言いたくなる。イジワルだろうか。

・マイナンバー制度導入

 政府が準備を進めている「マイナンバー」なる制度がある。「社会保障・税番号制度」というのが正式名称。国民一人一人に番号を割り振り、社会保障や税金の事務手続きを一元化して効率化を図る、というのが目的らしい。

 この制度、個人情報保護の観点で考えなければならない点があるとは思うけれど、事務手続きの効率化という点では良いのかもしれない。そもそも人間に番号を付けるというのは小学校で既に常態化しているのだから、今さら目くじら立てることもない気がする。

 けれどこういう話題になると必ず口を挟む自称クリスチャンたちがいる。主に終末論かぶれの人たちだ。個人に番号が振られるという現象だけ見て、
「獣の刻印だ」
「666のしるしだ」
 とか大袈裟にのたまう。そしてありもしない陰謀論を展開し、思考停止型クリスチャンらを翻弄する。

 彼らはマイナンバー制度みたいな仕組みを取り上げては「人間を管理する方法だ」と過度に警戒し非難するけれど、マイナンバーはそもそも人間を管理するためのものだ。社会保障とか税金とかいう分野で、効率よく人口を管理する方法に過ぎない。

 私たちは常に何かに管理されているし、私たちもいつも何かを管理している。いろいろなレベルのいろいろな種類の管理があり、どれも必然性があって存在している。

 そのうちの1つを取り上げて「悪魔の仕業だ」とかのたまうのは至極バカな話で、「井の中の蛙」っぷりを見事に露呈している。

 やっぱりそのへんのクリスチャンって浅はかなんだな、と思わずにいられない。

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