救われなきゃいけないのは自分の方だった、という話

2015年3月19日木曜日

教会生活あれこれ

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 教会にて。

「今、聖霊様がここに力強く働いています!」
 と言われるので、両手を挙げて「アーメン!」
 うん、なんか包まれてる気がする。
 
「今日、長年の圧迫からあなたは自由になります!」
 と言われるので、両手を挙げて「私は自由だ!」
 うん、なんか自由になった気がする。何が自由なのかよくわかんないけど。
 
「今日、あなたの病は癒されます!」
 と言われるので、痛いところを触れて「私は癒されました!」
 うん、ちょっと治った気がする。
 
 そんな感じで勢いづけられ、何でもできるような気がしてくる。それにここは神の教会。全能の主が働いているから不可能はない(はず)。
 
 てことは自分らって最強?
 よし、じゃあちょっと「この世」の哀れなノンクリたちにこの恵みを分けてやろうか、どうせ霊的なことなんてわからないだろうけどね!
 そんな感じの上目線で「奉仕活動」が始まる。あいたたた。
 
 でも奉仕が始まるとイロイロ忙しくなる。

 教会にて。
 
「今、主がこの集会を開くことを願っておられる」
 と言われるので、毎日遅くまでその準備に追われる。
 うん、仕えてる気がする。
 
「今、主が〇〇へ宣教へ行くよう命じておられる」
 と言われるので、スーツケースに荷物を詰め込んでさあ出発。
 うん、寝る間も惜しむとはこのこと。
 
「今、主がこの事業を始めるよう導いておられる。どうしても始めなければならない」
 と言われるので、キャパ越えてるけど更に頑張る。
 うん、これぞ献身。見返りなんて求めません。
 
 他にもあれやこれやの奉仕があり、ミーティングに呼ばれ、祈り会に呼ばれ、家にいてもメールや電話がきて、プライベートって何ですか? って状態。
 
 そんなことが何年も続いて、ええ、私は主の僕ですから、「この世」の民とは違うんです、忙しいかって? これも神の民の特権ですよ~ って変なプライドを持つに至る。合掌。
 
 でもフとした時に、なんか忙しすぎると気付く。
 自由って言われても自由じゃない気がする。
 恵みって言われても恵みじゃない気がする。
 束縛と、強制と、恐怖・・・。あ、すみません、そんなこと考える自分が不信仰でした! サタンに騙されてました! 悔い改めます! 断食して祈ります!
 という訳で抜け出せず、更なる深みへと。またまた合掌。
 
 というのが、ある教会スタッフの「献身生活」。
 偶然か何かで抜け出して、教会と関係ない生活を送るようになって、はじめてその異常さに気づくのである。
 
 忙しさから解放され、ちょっと余裕ができて、風呂場の鏡で自分の顔をまじまじ見つめる。
 老けたな、やつれたな、と思う。
 あ、ヒゲ剃り残してる、って気づいてヒゲを剃る。
 ゆっくり泡立てて、丁寧に剃って、その時やっと気づく。
 あ、ゆっくりヒゲを剃る時間もなかったな、と。

 救われなきゃいけないのは自分の方だったな、と。

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