「聖霊の力」という割には寂しい「結果」

2015年1月9日金曜日

「霊性」問題

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「聖霊の力による教会成長」が聖霊派教会では強調されている。
 聖霊様と親しく交わることでその賜物が付与され、異言とか解き明かしとか、預言とか癒しとか奇跡とか、霊を見分けるとかができるようになる、それによって信者が増えて教会が成長する、という主張だ。

 その主張のもと、私は異言がしゃべれるようになった、解き明かしができるようになった、霊を見分けられるようになった、等と言う人々がいる。またその延長線上に「五役者の回復」もあって、「自称使徒」がチラホラ現れている。
 奇跡の類ではいつも書いているように天使の羽とか金粉とか、そういう現象が自慢げに紹介されている。

 そういう賜物や職位の回復があるかないかは別として、肝心なのはその結果である。
 賜物のオンパレードの目的は教会成長にあるはずだ。彼らの話を聞いてみると、初代教会時代の使徒たちも真っ青なくらい賜物が回復している。誰もかれも、幼い子どもまでもが異言や預言や解き明かしをしているようである。であるなら初代教会時代並みかそれ以上のペースで信者が増えているはずだけれど、そんな情報は聞かない。

 新進的(?)な若者向けの教会は信徒数が徐々に増え、サテライト教会を作るところもあるようだ。けれどあくまで微増であって、爆発的とはお世辞にも言えない。私がよく知る聖霊派教会でも10年かかって1割増くらいだった。

 それでも信徒数が減少に転じている教会が多い昨今においては、微増でも増えている教会はすごいのかもしれない。しかし彼らが強調するような「聖霊の力」が現れているにしては寂しい結果だ。聖霊の力ってそんなもんか、って話になってしまう。

 そのへんを指摘すると、彼らはこう言う。「日本は特に悪霊の力が強いのだ。私たちは日々、霊的な激しい戦いにさらされている」
 なるほど、うまい言い訳である。悪霊の影響は証明できないから数量的な検証もできない。

 けれどその言い訳が意味するのは、神の勢力と悪霊の勢力がほぼ拮抗しており、わずかに前者が勝っているという力関係だ。神様が悪霊たちと同じ土俵に立って戦っており、押しつ押されつの攻防を繰り返しているということだ。しかもそこに人間の「霊的戦い」という加勢がなければ勝てない訳で、そんな頼りない神様を私は信じているのではない。

 私が信じる神様はもっと圧倒的な方だ。悪霊など決してその足元にも及ばない。その言葉一つで世界が創られる。今もこの世界を維持しておられる。神様の許しがなければ誰も何もすることができない。

 だから「聖霊の力」を強調するのは自由だし、その「現れ」を自慢するのも勝手だけれど、それに見合った「結果」を提示できなければ意味がない。たとえ天使の羽が会堂いっぱいに降ってこようが、そこで救われる人々が爆発的に増えないならゴミでしかない。信徒の方もそのへんはシビアに見るべきだと思う。

追記)
 ちなみに教会成長は信者が増えることだけれど、昨今の聖霊派教会に見られるのは未信者の信者化というより、クリスチャンの流入である。放浪クリスチャンがより良い教会を求めて転々とし、結果、人気の教会に集中する。するとそこは人が増えるから「成長した」と言うけれど、そこの純粋な伝道成果は全然別である。

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