【雑記】One world trade center オープン・同性愛について補足

2014年11月4日火曜日

キリスト教信仰 雑記 生き方について思うこと

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・One world trade center がオープンした件
 
 アメリカ、ニューヨークで One world trade center がオープンした。場所は忘れもしない2011年9月11日、世界貿易ビルのツインタワーがテロで破壊された跡地である。13年の歳月を経て、いわば再建された訳だ。さっそくビジネスが始まっているようである。
 
 
 そこは、ずいぶん長い間「グランド・ゼロ」と呼ばれ、否応なくテロを想起させる場所だった。そこに新しくビルが建ち、また人々の営みが始まるというのは、ある意味で「回復」を意味するのだと思う。
 もちろん、テロの犠牲になった方々やその遺族が、それで癒されるという訳ではないけれど。
 
 ところで One world という名前に、不吉な印象を受けるクリスチャンがいるように思う。
「レフト・ビハインド」あたりの終末小説に影響を受け、あたかもそれが現実に起こるものと混同している一部の人たちは、統一宗教とか統一通貨とか統一政府とか、そういう「世界規模で管理される事態」をやけに強調する。だから One world という名称は、そういう事態を彼らに喚起させるだろう(実際、上述の「レフト・ビハインド」には One world faith という統一宗教が登場する)。
 そして、「患難時代が近づいている。これは悪魔がその下準備を着々と進めている証拠だ」みたいな話になる気がする。
 
 また、この高層ビルは当初 Freedom tower という名称だったけれど、2009年に改称され、One world となった。そのへんの経緯にも、彼らは「悪魔の介入だ」みたいな邪推を加えてきそうだ。
 
 けれど私が悪魔なら、そんなわかりやすい「下準備」はしない。絶対に騙せる、悟られない、失敗しない方法をじっくり考えるだろう。少なくとも、安易に悪魔的なものを連想させる名称にはしない。
 
 もちろん、本当に終末が近づいているかもしれないし、世界統一的な組織が現れるかもしれない。世界中どこに行ってもクリスチャンが迫害される時代が、近いうちにくるかもしれない。
 そういう状況で、惑わされずにいられるのは、どんなクリスチャンだろうか。
 少なくとも、ありもしない陰謀論を展開し、架空の敵を作り出し、「霊の領域」という曖昧なフィールドで「勝った」と主張する連中でないのは、間違いない。
 
・同性愛について追記
 
 前回ジェンダーの話を書いたけれど、その中で、同性愛について触れ、「同性愛は罪ではない」と書いた。それについて補足。
 
 同性愛嗜好は基本的に先天性であり、変更不能だ。一部のクリスチャンは「幼少期の心の傷によって同性愛になってしまった」という「後天的矯正説」を主張するけれど、それは証明不能な、
後付の理由でしかない。何らかの「わかりやすい原因」を求めているだけで、そこには「同性愛は悪いもの」という偏見が隠れている。
 
 また、もし後天的なものだと仮定しても、変更不能であることに変わりはない。原因を特定できないのだから、治しようがない。一部のクリスチャンは、「聖霊様の洞察によって原因を探り出し、イエスの御名によって癒すのです」とか言うけれど、だったらやってみろ
 
 変更不能である以上、それは責める種類のものではない。たとえば異性愛者が異性愛であることを責められたら、どう感じるだろうか。たとえば女性を性の対象とする男性が、「お前、なぜ女を恋人にするんだ!」とか言われたら、どう思うだろうか。「そんなの仕方ないじゃん」と言うしかないのではないだろうか。
 
 またキリスト教的に見ても、もし「同性愛=罪」であるなら、同性愛嗜好の人は決して救われず、地獄に堕ちることになってしまう。あるいは救われるため、自分の性向を生涯隠し続けなければならなくなる。
 地上で同性愛であることを責められ、死後も地獄で責められるとしたら、彼らには何の希望もない。生きるも地獄、死ぬも地獄である。そしてキリスト教はそれに対して何もできない、ということになってしまう。

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